私たちは、皇室の伝統的な男系継承を確保する「養子案」の早期実現を求める活動を進めています

【十一宮家物語〈第十回〉】最終回 皇室と旧皇族の「菊栄親睦会」は平成にも受け継がれて令和へ ―有識者会議ヒアリングで相次いだ「旧皇族男子孫から養子を」の声―

国民の声
国民の声
宮田修一(ジャーナリスト)
GHQの圧力によって昭和22年(1947)10月に皇籍離脱を余儀なくされた十一宮家の方々は、昭和天皇の思し召し(おぼしめし)で「菊栄親睦会(きくえいしんぼくかい)」を通じて皇室との交流を続けました。平成になってからも当時の天皇陛下をお迎えして定期的な「大会」が開かれ、令和にも引き継がれようとしています。そうした中、政府の有識者会議は令和3年7月、「皇族と旧皇族の男子孫との養子縁組」を皇族数確保のための有力な方策として挙げましたが、背景には有識者会議のヒアリングで皇統の行方を案じている国民の声を訴えた識者の方々の強い思いがありました。

菊栄親睦会は平成にも6回開催 5年に一度、令和でも継続へ

 菊栄親睦会(きくえいしんぼくかい)は昭和天皇の思し召しを受けて戦前からの「皇族親睦会」を改称してスタートした。天皇皇后両陛下や成人の内廷皇族が「名誉会員」、その他の成年皇族と旧宮家の当主夫妻、ご結婚で皇籍を離れた内親王や女王のご夫妻が「会員」となる決まりで、慶事などに合わせて「大会」が定期的に行われる。「大会」の幹事は旧宮家の当主などが交代で務め、天皇陛下や皇族方をお招きし、会員の家族も加わってパーティ形式で開催される。

 皇籍離脱から一ヶ月後の昭和22(1947)年11月15日に当時の内廷庁舎(現宮内庁庁舎の一部)で開催されたのが最初で、昭和の時代には全体総会にあたる「大会」だけでも両陛下がお揃いで13回、天皇陛下がお一人で1回参加されている。なお、菊栄親睦会設立の経緯や昭和時代の交流については本誌11月号で明星大学戦後教育史研究センターの勝岡寛次氏が詳述している。

 こうした菊栄親睦会と皇室の交流は平成の御代にも受け継がれ、平成26年(2014)までにほぼ5年に一度のペースで慶事などに合わせて大会が6回開催された。最初の大会は平成2年(1990)11月に当時の天皇陛下の即位の礼大嘗祭(だいじょうさい)が執り行われたのを受けて翌平成3年3月に皇居内の施設で開催、平成16年(2004)4月には前年に天皇陛下が古希(こき)を迎えられたのを受けて赤坂御苑内の赤坂東邸(あかさかひがしてい)で、平成26年(2014)5月には天皇陛下が前年に傘寿(さんじゅ)を迎えられたのを受けて同じ赤坂東邸で、それぞれ奉祝(ほうしゅく)の大会が開かれた。当時の皇太子同妃両殿下以下の各皇族方も出席され、それぞれ80人から100人ほどが集った。

 旧皇族の方の人数が少なくなる中、令和になってからは、ご譲位やご即位に伴う行事やコロナ禍の影響でまだ開かれていないが、コロナ禍が終息すれば天皇皇后両陛下をお迎えして開かれる見通しだ。

 ほかにも皇室との直接の関わりとしては、宮中祭祀では、皇籍離脱時に皇族だった方について、大祭(たいさい)や崩御(ほうぎょ)された天皇の式年祭(しきねんさい)参列に天皇陛下の思し召し(おぼしめし)という形で招かれている。また、明治以降の皇族方の墓所である豊島岡墓地(としまがおかぼち)(東京都文京区)には、皇籍離脱された旧宮家の方々と配偶者が合わせて約20人埋葬されており、平成31年(2019)3月に74歳で亡くなった旧皇族で東久邇(ひがしくに)家当主だった東久邇信彦氏も埋葬された。これは、皇籍離脱時に皇族だった方で、旧宮家の当主及び嗣子(しし)(跡取り)とその長男については、宮家の祭祀を引き継ぐことが予定されていたとみなし、配偶者とともに豊島岡墓地に埋葬できることになっているからだ。

有識者会議動かしたヒアリング

 前回も触れたが、政府の有識者会議は、令和3年7月下旬にまとめた皇位継承に関する「今後の整理の方向性について」と題する中間報告で、今後の中心的な検討課題として①内親王・女王が婚姻後も皇族の身分を保持することを可能とする②皇族の養子縁組を可能とすることで、皇統に属する男系の男子が皇族となることを可能とする、の2案を挙げた。その過程では4月から6月までに合わせて5回、21人の各界の識者へのヒアリングで、圧倒的多数が男系維持を支持し、少なくとも10人以上が前記②案に近い考えを示した。新聞・TV等では詳しく報じられていないが、ヒアリングでのこうした発言が有識者会議を動かしたとも言える。「十一宮家物語」の連載を終えるにあたり、そのごく一部を紹介するが、内閣官房がネット上で公開しているヒアリング結果の詳細にも目を通していただきたい。

 ジャーナリストの櫻井よしこ(さくらいよしこ)氏は「(女性宮家ができて)一般の男性が皇族になるというのは、今まで本当にどういう方か分からなかった方が皇族になるということだ。そのことを是とするならば、旧宮家の方々は長い歴史の中で、皇族でずっといらしたわけである。(中略)つい何十年前まで皇族の一員であられた方が戻ることがなぜおかしいと言うのか、比較衡量(ひかくこうりょう)の問題で私はこちらの方が断然国民に対する説得力もあるのではないかと思う」などと説いた。

 皇學館大学教授の新田均(にったひとし)氏は「旧宮家に関しては、我々日本人の意思でそうしたわけではなく、外からの強制でそうなったわけだから、それ以前に降下された方々と同じに扱うことはできない」、麗澤大学教授の八木秀次(やぎひでつぐ)氏は「旧宮家男系男子孫は皇室典範のいう『皇統に属する男系の男子』であり、現在は皇族の身分ではないが、皇族としての正統性はあると考えられる」と述べた。

旧皇族には潜在的な皇位継承権

 国士舘大学特任教授の百地章(ももちあきら)氏は「直系の皇統の危機にあり(旧皇族の男子孫は)潜在的に皇位継承権を持っているとみてよいのではないか。一般国民と違う立場にあるため、特別な扱いがされてもよい」との考えを示し、日本青年会議所監事の曽根香奈子(そねかなこ)氏は、「(愛子さまが皇位を継いでも良いと思っていた人たちは)男系とか女系の一貫性の部分は知らないというところが大きくあり、私が学んだことをお伝えすればするほど、『ああ、そうなんだ』というふうに納得していった」との体験にも言及した。

 小説家の綿矢(わたや)りさ氏は「候補となる方のご意向もあるが、皇族数が減少している今、長い皇室の歴史を重んじつつ、元皇族の系譜の方々をしかるべき形で皇族として改めて迎え入れ、皇室を支えていただくことは、これまでの伝統に整合的ではないかと思う」と語った。

 気象予報士の半井小絵(なからいさえ)氏は「旧宮家の男系男子の皇統復帰は皇統の安定継承のためにも今すぐにでも実現する動きに入らなければならない。(悠仁親王殿下にとっては)同世代にご相談できる男性皇族がいらっしゃるというのは、極めて重要なことだと考える」と述べた。

 マンガ家の里中満智子(さとなかまちこ)氏は「『(皇籍離脱から)もう70年もたっている』という声もあるが、長い歴史からみればまだ、たったの70年である。戦後の事態は人為的、強制的になされたことであり、昭和天皇やご本人たちの意思に基づくものではないと思う」と発言した。

 

当連載は「皇室の伝統を守る国民の会」をご支援頂いている日本会議が発行する『日本の息吹』上で、令和3年3月号~令和3年12月号に掲載された論文を、許可を頂き当会ホームページに掲載しています
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