私たちは、皇室の伝統的な男系継承を確保する「養子案」の早期実現を求める活動を進めています

(議事録全文)『安定的な皇位継承の在り方を検討する有識者会議』(第2回・令和3年4月8日)議事次第・配付資料・議事録

有識者会議(令和3年)

『安定的な皇位継承の在り方を検討する有識者会議』は通称であり、正式名称は『「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議」に関する有識者会議』です。

議事録、資料などは次に示す内閣官房のホームページに掲載されていますが、Webでの閲覧や検索に適さないPDF形式であるため、当HPにてHTML形式に整形しなおしたものを掲載し、メディアによる切り取り・偏向報道を経ていない1次情報を広く国民の皆様に知っていただきたいと存じます。

「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議」に関する有識者会議|内閣官房ホームページ
内閣官房,「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議」に関する有識者会議

議事次第

第2回 「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議」に関する有識者会議 議事次第

日時:令和3年4月8日(木) 16:45~19:30
場所:総理大臣官邸大会議室

議事

○ 開会
○ 有識者ヒアリング
 ・岩井 克己 ジャーナリスト
 ・笠原 英彦 慶應義塾大学教授
 ・櫻井 よしこ ジャーナリスト・公益財団法人国家基本問題研究所理事長
 ・新田 均 皇學館大学教授
 ・八木 秀次 麗澤大学教授
○ 第3回会議における有識者ヒアリング対象者
○ 閉会

配付資料

資料1 : 有識者ヒアリングの開催について(PDF/124KB)

資料2 : 岩井 克己 ジャーナリスト 説明資料(PDF/1,024KB)

資料3 : 笠原 英彦 慶應義塾大学教授 説明資料(PDF/576KB)

資料4 : 櫻井 よしこ ジャーナリスト・公益財団法人国家基本問題研究所理事長 説明資料(PDF/186KB)

資料5 : 新田 均 皇學館大学教授 説明資料(PDF/347KB)

資料6 : 八木 秀次 麗澤大学教授 説明資料(PDF/3,983KB)

資料7 : 第3回会議における有識者ヒアリング対象者(案)(PDF/158KB)

議事録

「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議」に関する有識者会議(第2回)議事の記録

1 日時:

令和3年4月8日 16:45~19:30

2 場所:

総理大臣官邸大会議室

3 出席者:

・「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議」に関する有識者 会議メンバー

大橋 真由美 上智大学法学部教授
清家 篤   日本私立学校振興・共済事業団理事長 慶應義塾学事顧問
冨田 哲郎  東日本旅客鉄道株式会社取締役会長
中江 有里  女優・作家・歌手
細谷 雄一  慶應義塾大学法学部教授
宮崎 緑   千葉商科大学国際教養学部教授

・政府側出席者

杉田 和博  内閣官房副長官
岩尾 信行  内閣法制次長
山﨑 重孝  内閣府事務次官(皇室典範改正準備室参与)
池田 憲治  宮内庁次長
大西 証史  内閣総務官(皇室典範改正準備室長)
溝口 洋   内閣審議官(皇室典範改正準備室副室長)

4 会議の内容

(1) 開会

座長から、本日の会議について、以下のような説明があった。
・ 本日は、第1回目の有識者ヒアリングを行う。
・ ジャーナリストの岩井克己氏、慶應義塾大学教授の笠原英彦氏、ジャーナリスト・公益財団法人国家基本問題研究所理事長の櫻井よしこ氏、皇學館大学教授の新田均氏及び麗澤大学教授の八木秀次氏の5名の方から順に御意見を伺う。
・ 各ヒアリング対象の方から20分程度御意見を伺い、10分程度意見交換を行う。
・ 意見交換では、前回決定した10の聴取項目にない事項も自由に質問していただいて結構である。

(2) 岩井克己氏(ジャーナリスト)からの意見陳述及び意見交換

資料2 : 岩井 克己 ジャーナリスト 説明資料(PDF/1,024KB)

ア 意見陳述

座長からの紹介の後、次のように岩井氏から意見陳述があった。

私は研究者でも、学問をずっとやってきたわけでもないので、実証的・体系的な話はできず、主観的なものが入るかと思う。また、比較的身近で取材してきた立場としてお話することから、初歩的なことや、勘違いして自分なりに受け止めていることもあるかと思うが、取材者としての現場の実感をお話したい。現場レポートのような形で聞いていただきたいと思う。

まず、私の基本的スタンスを最初に申し上げる。現場で謦咳(けいがい)に接している者、天皇・皇族方の様々な場面にすぐそばで心中を推し量りつつやってきた者という立場からすると、現在の皇位継承の危機については、真剣に考えれば考えるほど頭を抱えて悩んでしまう問題である。「こうだ」、「これにするべきだ」というのは、なかなか言い難いというのが実感である。皇室の長い歴史や様々な天皇の足跡を勉強すればするほど、現代の社会環境との間でどう国民的コンセンサスを取るのかは断定し難く、また、断定するのは非常に不遜であるという気持ちになる。

ただ、個人的な思いとしては、例外なくずっと続いてきた皇位の継承原則は非常に重いもので、できる限り、ぎりぎりまで大切に考えて対処しなければならないと思う。まだ時間はあるのではないかという気がする。例えば、15年後を考えると、天皇陛下は76歳、秋篠宮殿下は71歳、悠仁親王殿下は30歳になられる。皆様健在に違いなく、悠仁親王殿下が男子を得ておられる可能性も大いにある。

愛子内親王殿下は今年成年に達し、悠仁親王殿下はまだ中学生だが、あと3年で成年に達する。そうすると公務をなさるわけだが、皇族の数の減少は確実に続くことから、万が一危機が決定的な縁(ふち)にまで来たというときに備えて、内親王には、場合によって元内親王あるいは女王も視野に入るかもしれないが、何らかの形で、控えの潜在的な継承候補というと語弊があり失礼かもしれないが、皇室との縁や関わり、お手伝い、支えといった点から、そういう存在として残っていただくことや、そういう関わりを続けていっていただくことを考えてはどうか。

具体的には、皇位継承権をお持ちになるというのはいかがかと私は思うので、皇室経済法上の「独立の生計を営む内親王」として。寬仁親王殿下が三笠宮家を継ぐという含みで寬仁親王家と称しておられたが、その例にならって。宮家というのは連綿と皇族としての家を継承していく、皇位継承者の家だという理解がされるとすれば、「宮家」という名は冠しない「内親王家」という形で皇籍に残ることとしてはどうか。その場合には、特措法になるのか、時限立法になるのか分からないが、皇室典範第 12 条の結婚後皇籍を離れるという制限枠を一時停止しなければならない。

あるいは、結婚して皇籍を離れたいという方もいるかもしれない。私は、野田内閣の頃から「内親王」という称号でどうだろうと言っていたのだが、憲法の大家によると、「内親王」という称号により新しい身分を作るのはいかがなものかということなので、結婚して皇籍を離れられた方に、「元内親王」とか、これもあまり美しくないので、「皇女」というような肩書・称号を持っていただき、警備や支える体制にもある程度配慮してお手伝いをしていただいてはどうか。もちろん皇室との親戚付き合い、親子付き合いというものを続けていただき、身近にいていただく。法的にこのようなことがどういう形で可能なのかまでは分からないが、本当に危機が深まったときに、周りに誰も、内親王すらおられないということにならないようにしておくべきではないかと感じている。

小泉内閣の時は、ある意味では次世代の親王ゼロという状態で、旧皇族の方に復帰していただくか、それとも継承の基本を根本的に変えて、男女双系という形にするかという二者択一でしかなかった。有識者会議が後者に着地して、国会提出寸前までいったが、親王御誕生につながる御懐妊があり、沙汰やみになった。正統な親王がおられるのに、それを無視して内親王が継承権を持たれると、悠仁親王殿下が即位される可能性がなくなる。これは非常にいろいろな議論が出てくるだろうし、ある意味では正統性争い、あるいは疑念が残るという、非常に避けなければならない事態につながるのではないかという不安がある。

野田内閣の時はその点を考慮して、論点整理までされたが、こちらもやはりずっと例外なく続いてきた男系というものを崩すということに対する強い慎重論・反対が相当強く、着地に至らなかったという経過をみた。

ここで、天皇の役割を私なりにどう理解しているのかについて聞いていただきたい。資料1に憲法第1条から第4条までを英文訳と共に掲げた。しかし、そもそも天皇とは誰か、何者かということはどこにも書いていない。「国民統合の象徴」といってもよく分からないが、英語の「the unity of the people」の方が、日本国憲法施行の翌日に生まれた私のような世代にはぴったりとくるものがあり、近しい思いが日本国憲法にはある。「the unity of the people」というのは、なかなかいいなと思う。

また、第2条の「世襲」について、「hereditary」という英語を使うのではないかとも考えられるところを「dynastic」と言っている。日本語の「世襲」は、家元などのように血縁のない人が継ぐことも指すことから、その意味では「dynastic」というのが実態に近いのではないかと思う。「dynastic」と憲法が書いているということは、皇室という王朝が過去からずっと形成され、現在も形成され続けているということを暗黙の前提としている、歴史的・伝統的存在として天皇を踏まえているのだということを感じる。占領下での策定ではあったが、とにかくいろいろな経緯があってこうなっている。

憲法が帝国憲法の改正の形をとったとはいえ、国民主権が大原則である憲法の第一章に天皇が置かれている。その意味について考えると、樋口陽一氏らの書かれた注釈書では「旧憲法における天皇のあり方を否定し、そのことを通じて国民主権原理が登場してきたことの意味を示すもの」との解釈をしている。なるほどねというふうに思う。佐藤功氏は、終戦間もないときに、天皇は君主の伝統的権能だった恩赦権、軍の統帥権、立法の裁可権がなくなり、行政権も明確に内閣に属すると規定され、「これは君主の権能のいわば分解過程の極限を示している」というふうにおっしゃっている。

それでは、敗戦の崖っぷちの中で、なぜ天皇は残ることができて、その後も象徴として定着していき、今も安定的に続いているかということをどう理解するか。やはりこれは権力関係とは一線を画したソフトな伝統的・文化的側面の、遠い過去からの歴史的な蓄積、厚み、そういうものではないのかなという気がする。

何人かのコメントをアトランダムに並べたが、一つは木戸内大臣の手記で、8月10日にポツダム宣言受託の回答を「天皇の国家統治の大権を改めざることを含むと解す」という条件付きでしたところ、バーンズ国務長官から、「日本国政府の最終形態は、日本国民の自由に表明する意思によって決定される」という回答があり、せっかく御前会議で決めたものが蒸し返され、「やはり本土決戦で守るべきだ」というふうな非常に厳しい状況になって、ずっとシナリオを書いてきた木戸内大臣もかなり動揺する。そのときに天皇が、「それで一向に構わないではないか、人民の支持がなければあってもしょうがないではないか」というふうなことをおっしゃった。「人民」とおっしゃっているのが面白い。

亀井勝一郎は敗戦直後、「天皇とは民族における人間悲劇の至高なる表現である」と、「渾身の御祈念を洩らされる存在である」ということを言った。天皇の戦争責任を強く追及されている時代で、ずいぶん批判も浴びたようだったけれども。

フェラーズ准将は、マッカーサーに天皇制存置を進言するメモで、「彼らの天皇は、祖先の美徳を伝える民族の生ける象徴」であると述べている。一方、それを潰すとすごい軍隊が必要になりますよということも言っている。

和辻哲郎は、非常に原始的な祭祀的統一というものから起源を持つ、呪術的な起源もある君主を持つというのは人類共通のことであるが、なぜか日本では不思議にもこの原始的伝統が様々なメタモルフォーシスを経つつ、後の発展諸段階のうちに持続していった、ずっとその伝統を我が国民は守り続けたのである、ということを述べ、ある意味では象徴天皇の理論付けを一生懸命に行い、国体は崩れたけれども、象徴天皇という体制になったということを言う。

資料2で、皇位継承の選択肢というのがこれだけあるということを述べてある。兄弟姉妹間で男子優先というバージョンは省いているが、男系男子論で行く場合、旧皇族から復帰する場合、皇女という尊称を創設する場合と、こんなにばらばらになる。小泉内閣当時は二者択一だったものが、それぞれ一長一短があり、「私はこれがぴったりくるな」というものが人によって違ってくる。これをまとめて、国民的なコンセンサス、誰もが納得するようなものにたどり着くというのは至難の業ではないかと考える。よほどぎりぎりのところまで追い詰められないと、決められない。自分が現場で聞いていると、「10%反対があったら皇室はやらない方がいい」というようなことを宮内庁内でよく耳にする。

今の状況というのは非常にデリケートで複雑で悩ましい。結局は最初のスタンスのところで申し上げたような思いでいる次第である。

イ 意見交換

有識者会議メンバーと岩井氏との間で、次のような質疑応答があった。

・ 内親王家というお話があったが、既に皇籍を離れた元内親王についてはどのようにお考えか。
・ 比較的まだ記憶が新しいので、今でも内親王という感覚が国民の側にも残っておられるのではないか。結婚した方にお手伝いをしていただくということで言えば、現在の他の内親王とそれほど断絶した御存在ではないのではないかと思う。それから、女王方もお三方残っておられる。この方たちについてどう考えるか、そこは、もう少し事態の推移を見ないと何とも言えないというのが実感である。

・ 資料2の皇位継承の選択肢のⅢとⅣで、「女性宮家」と「内親王家」を明確に書き分けている趣旨は何か。
・ 「女性宮家」という見出しが躍ると、様々なパターンが全部ひっくるめられてしまうことから、皇位継承資格を持たない、皇室経済法上の「独立の生計を営む内親王」のお立場であることを、あえて強調して「内親王家」ということを以前から何度も申し上げている。

・ 一代限りの「内親王家」を創設し、当該女性皇族が皇統に属する男系の男子と婚姻した場合、皇位継承資格を認めてよいという認識の方々もいると思うが、皇統に属する男系の男子と婚姻した内親王家の子どもを皇族とすることや、皇位継承資格を認めることについてどうお考えか。
・ 旧皇族の方は男系では 600年離れており、女系では明治天皇の内親王と昭和天皇の内親王の2代、3代後に当たる方であることから、皇位継承順位を仮に配慮してもどちらで見ても現皇族方より遠く、また、一代限りということは男系を維持する前提であることだから、その問題はある意味ではそれほど紛糾しなくても済むのではないか。

・ 「内親王家」を創設する場合に、対象となる皇族の意思についてはどのように考えるか。
・ 継承権は、権利というよりは相当な重い責務であり、人権をはじめとした制約の中で、国民のために生きるという人生であることから、「私は皇室との関わりをもう持ちたくない」という方がいらっしゃっても、それはある意味では自然であると思う。
それを前提とすると、「内親王家」か「皇女」家か、あるいは婚姻による離脱後には皇室と関わりを持たないという、2つから3つのパターンを用意し、御本人に、あるいは御家族とも相談しながら選んでいただく、という余地を設けておく。そうすれば、御本人に辛い思いをしていただかずに済むのではないか。したがって、選択肢を複数用意することが今の時点では現実的で、あまり反対はないのではないかと考えている。全員がお断りになった場合には困るが、それはそのときに考えるしかないのではないか。

以上の意見陳述及び意見交換の後、座長から謝意を述べ、岩井氏からのヒアリングを終了した。

(3) 笠原英彦氏(慶應義塾大学教授)からの意見陳述及び意見交換

資料3 : 笠原 英彦 慶應義塾大学教授 説明資料(PDF/576KB)

ア 意見陳述

座長からの紹介の後、次のように笠原氏から意見陳述があった。

大きな前提として、戦前まで明治22年に制定された明治皇室典範が施行されており、戦後は昭和22年制定の現行の皇室典範に移行しているが、基本的には皇統に属する男系の男子という皇位継承資格は大きく変わっていない。しかしながら、1点だけ重要な変更点がある。戦前の明治皇室典範では、非嫡系を容認していたが、戦後になって現行の皇室典範では嫡出に限る、非嫡系の子孫に関しては皇位継承権を認めないという、非常に大きな変更があった。これは国民の意識、あるいは日本国憲法の理念に照らして、倫理観が大きく変化し、これに対応した措置であったと考えられる。したがって、そういった条件の下で男系の男子で皇位を継承していくということは、安定的に皇位継承を進めていくということを難しくしてきたという部分があろうかと思う。また、社会的な様々な背景として、少子化等の問題もあろうかと思う。

時間の関係で聴取項目の用紙の設問を読ませていただいて、それに対する私の回答を申し上げるという形で進めさせていただく。

問1は、「天皇の役割や活動についてどのように考えるか」。私の用意したペーパーでは、「日本国憲法第1条が規定するように、天皇は「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」として、憲法第7条の規定する国事行為、公的行為、その他の行為を通じて、国民を統合する役割を果たしている」と記載させていただいた。私は「統合」というのが非常にキーになる概念だと考えている。「天皇はそうした活動により、様々な機会に国民とふれあい、国民との相互作用を通して天皇としての自覚にめざめ、国民も象徴天皇への敬慕の念を抱くようになる」。この相互作用というのが、一般にいわれている帝王学に相当するものである。

問2は、「皇族の役割や活動についてどのように考えるか」。用意した私の回答は、「皇族は天皇を支え、行幸啓や行啓、その他の公務を通じて多くの国民とふれあい、国民の期待に応えることで、その役割を認識する。天皇とともに皇室の活動を分担し、国民との絆を深める」。天皇をお支えする立場として、皇族方による公務が行われているということである。

問3は、「皇族数の減少についてどのように考えるか」。用意した問3の回答には、2つの側面がある。1つは、「皇位継承を不安定化し」、という側面であり、もう1つは、「皇室の活動に支障を来す恐れがある」という側面である。この両面の非常に由々しい事態が生じてくる。平成24年の皇室制度の見直しに先立ち、宮内庁が首相官邸、内閣官房に対して、皇族数の減少への対応ということを、「火急の案件」であるという申し入れをされている。「今後、内親王や女王らの婚姻に伴い、さらに皇族の減少は深刻化する可能性が高いと考えられる」。

配布した参考資料の最後に、宮内庁のホームページに掲載されている「皇室の構成」がある。現在、18方で構成されているが、そのうち、若い方は、愛子内親王殿下、眞子内親王殿下、佳子内親王殿下、悠仁親王殿下、そして、世代が1つずれる形になるが、三笠宮の彬子女王殿下、瑶子女王殿下、そして、高円宮家には承子女王殿下がいらっしゃる。3方の内親王と3方の女王方、この6方については、皇室典範第12条に「皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」という規定があることから、現行のままであれば、婚姻が成立すると、皇室会議の議を経ることなく、皇族の身分を離れられる、いわゆる皇籍離脱をされることになる。秋篠宮家の一番お若い悠仁親王殿下は、この世代ではお1人の男子ということになるが、父上である秋篠宮殿下に次いで皇位継承順位第2位であり、その後には常陸宮殿下がいらっしゃるのみであり、非常に皇位継承資格者が少なくなっている。

女性皇族の方に、結婚後、皇室に残っていただく何らかの措置を講じるということであれば、もう既に適齢期を迎えられた方々が御結婚になる前に、制度を大きく見直さなくてはならないということである。

こういった内親王方あるいは女王方が、婚姻に伴って皇籍を離れ、皇族の数が減少するということは、もちろん皇室の活動にも支障を来すが、一番大きい問題は、今申し上げたような皇位継承が更に不安定化するということである。御活動を補うためであれば、「皇女」などの称号が挙がっているが、現行の法制度に基づき皇籍を離脱された方について、皇室の活動を補完していただくという措置は考えられるのではないかと思う。

問4は、「皇統に属する男系の男子である皇族のみが皇位継承資格を有し、女性皇族は婚姻に伴い皇族の身分を離れることとしている現行制度の意義をどのように考えるか」ということだが、資料に書いたように、「本来は、皇族の規模を適正化することにより、財政的負担の増加を抑制するべく機能することが期待されてきた。しかし皇族男子の誕生が極めて少ないことから、現行制度のままでは十分に皇位継承資格者が確保できず、皇位継承の不安定化がより一層深刻化することが懸念される」。

問5は、「内親王・女王に皇位継承資格を認めることについてはどのように考えるか。その場合、皇位継承順位についてはどのように考えるか」。お答えとしては、「皇位継承資格を男系女子まで拡大し、内親王に限り皇位継承資格を認めるべきと考える。わが国は古来、男系女子に皇位継承資格を認めてきた伝統があり」、これは、古来、10代8方の女性天皇が誕生しているという歴史的事実がある。したがって、逆に「男系男子に限定されたのは、明治22年制定の明治皇室典範以降の短い期間にすぎない」。すなわち、1,300年くらいの歴史と、130年ほどの歴史を比べているということである。ただし、その場合、「皇位継承順位は男系男子を優先すべきと考える」。

問6は、「皇位継承資格を女系に拡大することについてはどのように考えるか。その場合、皇位継承順位についてはどのように考えるか」。「将来はともかく、現在のところ歴史上に先例のない皇位継承資格の女系への拡大は見送るべきであろう。しかし憲法第2条の「世襲」が充足される限り、悪しき先例主義に陥ることなく、女系拡大についても今後の検討課題とすべきであろう」というのがお答えである。

問7は、「内親王・女王が婚姻後も皇族の身分を保持することについてはどのように考えるか。その場合、配偶者や生まれてくる子を皇族とすることについてはどのように考えるか」。内親王が皇位継承資格を有するという、問5に対する私の答えを前提として申し上げるが、「皇位継承資格を有する内親王は婚姻後も皇族の身分を保持するが、皇位継承資格を有しない女王は婚姻に伴い皇族の身分を離れる。しかし、いったん皇族の身分を離れた皇族女子も必要に応じ、皇室典範第15条の特別立法を制定することにより、将来皇籍復帰の可能性を想定すべきであろう」。これによって皇位継承の危機、皇族の減少に歯止めをかけたいという意味である。「皇位継承資格を有し婚姻後も皇室にとどまる内親王の場合、国民の意向を十分に踏まえた上で、配偶者や生まれてくる子を皇族とすべきである」。

問8は、皇族の身分を離れられた元女性皇族が活動にどう支援していただくかということだが、「まずは皇室の活動が平成時代に増加したことに鑑み、全体として活動を必要最小限まで軽減するべきである。その上で、必要かつ国民が求める範囲において、婚姻により皇族の身分を離れた元女性皇族にも、皇室の活動を支援するようお願いするべきと考える」。

問9は、養子縁組という形にせよ、新たに皇族とするという形にせよ、皇統に属する男系の男子に復帰していただく、この点についてはどうかとの問である。回答としては、「皇統に属する男系の男子は、憲法第2条に定める世襲と認められる者に限り、皇族とすべきである。古代の継体天皇の場合にあっても、「応神五世孫」と血縁関係の近さが強調されたことに鑑み、いかに傍系継承といっても、血縁が遠く世襲と認められない場合は、①又は②のいずれによっても皇族の対象とすべきではない。むしろ皇室典範第9条を改正するか特別立法により養子を解禁する場合は、その対象を天皇・皇族間に限定すべきであろう」。例えば、「宮家の親王や王が天皇や皇族と養子縁組する場合に限り、養子を認めるのが望ましい」。平安時代以降江戸時代にかけて、比較的多くの猶子が誕生しているので、この例が参考になろうと思う。

最後に問10は、それ以外の安定化策や、皇室の活動を補助する方法ということで回答申し上げると、「国民の強い要望により直系長子を最優先し、歴史上10代8方在位した女性天皇の先例に従い、天皇の子である内親王に皇位継承資格を認めることが想定される。憲法第14条の謳う男女平等にもかない、国民に分かりやすく、いわゆる帝王学を修得することが期待される。なお、両陛下が宮家の親王と養子縁組し、皇位継承順位を男系男子が男系女子に優先するとした場合は、養子となった親王が皇位を継承する。天皇および皇太子の子である直系の皇族女子に限り、婚姻後も皇室にとどまり、一代限りの宮家を創設しうるよう皇室典範第12条を改正すべきであろう」。

最後は多少駆け足になって恐縮だが、10問の問いに答えさせていただいた。

イ 意見交換

有識者会議メンバーと笠原氏との間で、次のような質疑応答があった。

・ 憲法第2条の「世襲」と認められる範囲について、具体的にどう考えるか。昭和22年に皇籍を離脱した、いわゆる11宮家の方々はこの範囲に入ると考えるか。
・ 憲法第2条は「皇位は、世襲のものであって」という規定であり、ここに基づいて、皇室典範の第1条では「皇統に属する男系の男子」となっている。確かに男系で継承してきたということも伝統ではあるが、それ以前に、天皇との血筋の近さということの重要性が強調されるべきであろう。ここからは解釈論であることから、法律の専門家の方々の御意見を待ちたいが、憲法には男系という限定はない。したがって、男系と女系も含まれるし、男子も女子も区別はされていないということである。ただ、その下位法として皇室典範の規定がそうなっている。したがって、この点に基づいて、小泉内閣のときの皇室典範に関する有識者会議は、女系拡大論まで示した。そのときの根拠になっているのは、やはり憲法第2条である。
この「世襲」の解釈に基づいて、はっきり申し上げると、天皇とどれだけ遡ったら血筋がつながるのかといった場合に、戦後、今御指摘のあった旧皇族の男系男子孫の方々というのは、約600年離れていることから、これをもって近い血筋と言っていいのかどうか、という判断になろうかと思う。古代の継体天皇のときでも「応神五世孫」ということで、それでも5世である。旧皇族の方々は、20世以上になることから、果たして旧皇族の方々までを同じ天皇家の血筋として数え上げることが適切かどうかというと、私はやや疑問を感じている。

・ 問10の回答で「国民の強い要望により直系長子を最優先し」と記載されているが、日本国民全体としては、直系長子の優先という希望があるのではないかという認識でいらっしゃるということか。
・ 私は政治学の人間であることから、国民の意識が一体どこにあるのか、様々な世論調査を見る。これは今だけではなく、どういうふうに変わってきているか、戦後、変わってきているか、その流れをずっと見てきている。
法律論で見ても、憲法に則して言えば、何で男女平等なのに男子しか皇位継承資格を持たないのか、という憲法第14条との関わりというのは当然出てくる。
男系の女子は、女性天皇が8方もおられ、先ほど申し上げたように、その方が歴史として長い。明治以前はずっと男系女子まで認めていたのであり、その方が憲法第14条にもかなっている。
こういう観点から、更に世論調査のデータを見ていくと、女性天皇を認めるべきだという意見が8割くらいになってきていることから、これは例えば、男系継承の伝統を維持するとおっしゃっている方も、異論はなかろうと思う。

・「世襲」の範囲について、600年はあまりにも遠いということだが、具体的にはどの範囲まで認められるとお考えか。
・ 非常に大事な問題ではあるが、非常に難しいのは、我々が象徴天皇制という制度の下で全て判断していかなければならないということである。天皇の地位自体が国民の総意に基づくという形になっていることから、世間一般でどの範囲のものは血縁関係、どの範囲のものは血縁関係でないのか、考える必要がある。側室を置かなくなった、現行典範で非嫡出子に皇位継承資格を認めなくなったということが、既に世論を基盤にした考え方である。したがって、この部分についての常識の範囲というのは何世か、はっきりしたことは申し上げられないが、一般の方々のほぼ常識的なところでは、例えば、3世までとか、4世までとかいう形で決まってくるのだろう。それが10世も20世も離れてくると、血縁関係は確かにあるのだろうが、それによって正統性を得るということはなかなか難しいのではないかというふうに考えている。

以上の意見陳述及び意見交換の後、座長から謝意を述べ、笠原氏からのヒアリングを終了した。

(4) 櫻井よしこ氏(ジャーナリスト・公益財団法人国家基本問題研究所理事長)からの意見陳述及び意見交換

資料4 : 櫻井 よしこ ジャーナリスト・公益財団法人国家基本問題研究所理事長 説明資料(PDF/186KB)

ア 意見陳述

座長からの紹介の後、次のように櫻井氏から意見陳述があった。

2017年の皇室典範特例法の附帯決議に関する有識者会議が設置され、改めて私たち国民は、皇室と日本国の在り方について考える機会を得た。この重要な問題について私見を述べる機会をいただいたことに感謝する。いただいた質問項目に従って私の考えを述べさせていただく。

質問1及び2、天皇と皇族の役割について。長い歴史の中で、天皇は常に国家の安寧と国民の幸福を守るために祈ってくださった。2,700年に及ぼうとする皇室の歴史の中で、歴代天皇は何よりも祭祀を重要事項と位置付けてこられた。鎌倉初期に順徳天皇は「禁秘御抄(きんぴみしょう)」をまとめられ、その中で「およそ禁中の作法はまず神事、後に他事とす。明暮敬神(あけくれけいしん)の叡慮懈怠(えいりょけたい)無し」と明記され、国家国民のために神事を行い、他のもろもろのことはその後に初めて行うと説かれた。

天皇と皇后は、国民の幸福と安寧を実現するために祈ることに加えて、行動も起こされた。聖武天皇の皇后、光明皇后は、民のために悲田院と施薬院を設けられた。この伝統を受け継ぎ、大正天皇の皇后、貞明皇后は、ハンセン病の患者さんを直接お見舞いなさった。現在、私たちはハンセン病患者さんと握手をしても感染はないと知っているが、大正時代はそうではなく、とても恐れられていた。そのような時代に、直接見舞われた貞明皇后に対し、ハンセン病患者の明石海人という人が歌をささげている。「みめぐみは 言はまくかしこ 日の本の 癩者に生れて 我悔ゆるなし」。

この伝統を上皇、上皇后陛下、今上陛下と今上皇后陛下も継いでおられる。国民と国のために祈り、行動なさることで、国民の尊敬を集め、温かい気持ちの軸となってこられたのが皇室である。穏やかな文明を育んできた日本の中心に、大祭主としての天皇がおられる。深い歴史と文明の中心軸をなしてきた天皇のお役割は、国家国民のために祭祀を執り行ってくださること、それが原点であることを、今さらだが再認識し、感謝するものである。

しかし、戦後の現行憲法とその価値観の下で、祭祀は皇室の私的行為とされた。皇室本来の最も重要な役割であり、日本文明の粋である祭祀を過小評価し続けて今日に至ったことは、戦後日本の間違いであることを強調したいと思う。

そして、皇族の皆様方のお役割の最重要事項だが、それは三笠宮寬仁親王殿下がおっしゃっておられたように、皇統継続の男系男子の人材を供給することに尽きると思う。

次に質問の第3である。皇族方の減少について、現状は危機的だと考える。これまで対策を打ってこなかったことは日本国の失態だが、今、取組をなさろうとしていることは非常に高く評価させていただきたい。戦後日本は初めて外国に占領され、様々な方法で国の形を変えさせられた。とりわけその中でも重要な変更は、皇室に関するものであった。その一つが皇族の数を大幅に減らしたことである。日本政府と国民の意思、日本の文化文明に何ら配慮することもなく、11宮家に突然の皇籍離脱を強制した。現在の皇族の減少はそれが主な原因だと思う。本来なら我が国が独立を回復した昭和27年時点で、旧皇族の方々の皇籍復帰を行っておいた方が良かったと考える。

質問の4、皇位継承資格について。我が国の天皇の地位は、長い歴史の中で一度の例外もなく男系が継承してきた。歴史の中では皇位継承の危機に直面したことも多々あったが、先人たちはその度に課題を解決し、男系で皇位をつないできた。

直近の例として、昭和天皇の御下問を思い出す。4方目の内親王、厚子様がお生まれになった直後の昭和6年3月26日、昭和天皇は元老の西園寺公望に、皇室典範を改正して、養子の制度を認める可否を御下問なさった。御自分には4方のお子様、内親王がいらっしゃった。しかし、お子様の内親王に皇位を継承させるのではなく、飽くまでも男系男子による継承を願われての御下問であった。2,700年近く続く長い伝統と、日本の国柄を守ろうとお心を砕かれた証しであろうかと思う。

既に述べたが、昭和天皇に限らず、我が国の長い伝統の中で、幾多の先人たちの思いは同じであった。その歴史と伝統、国柄を揺らぎなく守ることが、皇室及び日本国の安定を確たるものにしてくれると考える。

質問の5及び6、女系天皇に関する質問について。4番目の質問への回答と多分に重なるところが多いと思う。私自身女性であり、女性の活躍を心から願っている。前述の光明皇后や貞明皇后の果たされたお役割に心からの敬意を払い、お2人方をはじめ、社会で活躍する全ての女性たちを大いに誇らしく思っている。しかしながら、そのことと皇位継承で女系天皇を認めることは異なる。質問の5と6は両方とも女系天皇の容認に道を開くものである。女系天皇を容認するとしたら、それは皇室が変質し、皇室の歴史が終焉に向かうことだと危惧する。したがって、反対である。

質問の7、婚姻後の皇族の身分について。この問いは、皇族の数が少ないために浮上した議論であろうかと考える。皇族数を増やす手立てを、国民の総意をはかって考え、実行すれば解決するのではないか。女性皇族の方々は、御結婚後は民間の人となって、各々の分野で存分に活躍なさってくださるのが良いと思う。

質問の8、元女性皇族の活動について。これは飽くまでも個々の事例で考えるのが良いと思う。皆様お一人お一人異なるため、皆様のことを一律にひとくくりで考えることには無理があろうかと思う。

質問の9、旧宮家の皇籍復帰について。この問いでは選択肢が2つ示されている。しいて選ぶとすれば、①の養子縁組を可能にすることが現実的であろうかと思う。臣籍降下なさった男系男子の旧宮家の方々で、皇籍復帰にふさわしい暮らしをしてきた方に、養子あるいは家族養子となっていただくのがいいのではないかと思う。70年以上も民間人として暮らした人たちが皇族に復帰するのは、国民感情にそぐわないという意見があるのも事実である。しかし、旧宮家の方々と現在の皇室との間には、深く、親しい交流関係が現在も続いている。明治天皇、昭和天皇の皇女が嫁がれた宮家もある。現皇族方と近い親族関係にある方々が多い。この方たちが皇籍離脱なさるとき、「万が一にも皇位を継ぐべきときが来るかもしれないとの御自覚の下で身をお慎みになっていただきたい」との言葉が宮内省から送られている。今上陛下はじめ現皇族方と親しい間柄にある方々を、養子縁組の制度を設けて復帰をお願いしていくことが良いと考える。

最後の質問10について。他の対応策はあるかという御下問である。質問9に示された2番目の選択肢でも良いのではないかと思う。旧宮家のいくつかの御家族においては、男児の誕生が続いていると伺っている。男系の血筋を伝える旧宮家の御家庭には、悠仁様の格好の友となり得る男児が少なくない。この方たちが30年、40年、あるいはもっと先に悠仁様のお力になれるのではないかと期待している。国民の多くが皇位継承問題と共に皇族数の減少に心を痛めている折、旧宮家の方々の皇籍復帰で皇位継承問題への道が開かれるとともに、皇室に活力が戻り、国民も安心できる状況が生まれるのではないかと期待している。

以上をもって、私の意見陳述を終わりたい。

イ 意見交換

有識者会議メンバーと櫻井氏との間で、次のような質疑応答があった。

・ 具体的に旧宮家の方々の養子縁組について御提案をいただいたが、皇族の側でどなたが養子縁組の当事者となるか、具体的な考えがあればお聞かせいただきたい。
・ どなたとどなたをつなぐかということであろうが、現在、宮家でもう途絶えたところもある。そうしたところに、例えば、御家族に男系男子のお子様がいらっしゃり、そして、皆様方のお眼鏡にかなう、国民も納得できるようなきちんとした暮らしをしている御家族を選んで、その方たちが、絶えた宮家を継ぐという形も一つの形であろうかというふうに私は思う。
なぜ家族養子と言うかというと、お子様1人もしくは2人を別のところにお連れして、「今日からあなたはここでほかの方のお世話を受けながら暮らすのよ」というのは、どう考えてもお気の毒というか、人間の親、子どもの心情としてつらいものがある。きちんとした暮らしをしておられる方、また、皇族に復帰してみんなからきちんと認めてもらえるような生き方をしてこられた御家族という条件はあるが、御家族全体でこのような形で入っていただくのが一番自然ではないかなというふうに私は考える。

・ 今おっしゃったように、11宮家の方は、70年間民間人として過ごしておられるが、そういったことに対しての国民全体の納得感については問題ないとお考えか。
・ 比較の問題として考えてみるのがよいかと思う。
女性宮家の問題で、女性皇族が一般の男性と結婚して女性宮家ができて、一般の男性が皇族になるというのは、今まで本当にどういう方か分からなかった方が皇族になるということだ。そのことを是とするならば、旧宮家の方々は長い伝統の中で、皇族でずっといらしたわけである。たまたま GHQ によって、日本国民の意思と関係なく、民間人に臣籍降下させられてしまった。しかし、先ほど申し上げたように、旧宮家の方々が臣籍降下するときには宮内省の方から、いずれ皇族に復帰することもあり得るから、そういう自覚を持たれて、きちんとしたお暮らしをなさってくださいね、ということも言われた。昭和天皇もそのようなお気持ちでいらしたということを私たちは歴史の事実として知っている。
一般の、今まで一度も皇室に御縁のなかった人が女性皇族と結婚したという理由で皇族になることを是とするならば、つい何十年前まで皇族の一員であられた方が戻ることがなぜおかしいと言うのか、比較衡量の問題で私はこちらのほうが断然国民に対する説得力もあるのではないかと思う。

・ 皇統に属する男系の男子を養子縁組等により皇族とした場合に、その皇位継承権についてはどのように考えるか。
・ 皇位継承についてはこれから何十年間も安定した体制の中にある。今上陛下がおられて、秋篠宮殿下がおられて、悠仁親王殿下がおられる。今は人生100年の時代であることから、悠仁様が御成人なさって、やがて今上陛下、秋篠宮殿下の後を継がれて天皇陛下になられて、100歳まで生きられると仮定したら、あと70~80年、ひょっとしたら90年間は、皇位継承問題はない。
私たちが心配しているのは、皇族の方が一人もいなくなる可能性があるということである。天皇陛下お一人だけおられて、本当に立派な太い幹の、堂々たる樹木がそびえていても、周りに一本の木もなく、野原であったら、冷たい風も吹きつけるだろう。天皇陛下をお守りするという形での皇族が必要だと思う。
その方たちの皇位継承というのは、多分ここにいる私たち全員が死んでしまって、何十年間か経った後の問題だと思う。悠仁様が本当に立派に御成人なさって、また次の皇位継承者としての男子がお生まれになることも十分にあると思い、そう願っているが、その場合は、皇位継承者は悠仁様の子である親王殿下になる。その場合は、皇籍に復帰する方々のお子様方は皇族としてお守りするという立場にずっとこれから何十年も立ち続けることになる。したがって、皇位継承順位について、新しく皇族に復帰した宮家の方々が、「じゃあ、この方が何番、何番」というような事態では全然ないというふうに思う。

以上の意見陳述及び意見交換の後、座長から謝意を述べ、櫻井氏からのヒアリングを終了し、約10分間の休憩となった。

(5) 新田均氏(皇學館大学教授)からの意見陳述及び意見交換

資料5 : 新田 均 皇學館大学教授 説明資料(PDF/347KB)

ア 意見陳述

座長からの紹介の後、次のように新田氏から意見陳述があった。

お配りしたものは、1枚目からが今日の要旨を書いたレジュメであり、3枚目からは、今日お話しできないと思うが、女系論についての論点をいくつか挙げている。4枚目からがレジュメの説明になるので、ここからお聞きいただきたい。

「安定的な皇位継承を確保するための諸課題」については、いただいている問1と問4が本質的な問いであると考える。この問いを言い換えると、天皇の役割の本質とは何か、皇位継承とはそもそも何を継承するのかということになる。示されている聴取項目について、私は、神道並びに政治と宗教との関係を研究している者という立場で回答したいと思う。ちなみに、私の学位は、國學院大學から頂いた博士(神道学)、早稲田大学から頂いた政治学修士(憲法専修)という、いささか変わった学位である。

さて、個々の項目に答える前に、まず、目的と手段の関係についての私の考えを申し上げる。目的、この議論の場合であれば「何を、なぜ守るのか」を考えずに、手段「どうやって守るのか」を考えたり、どれがとりあえず実現しやすいか、簡単に支持を得られるかなどと考えたりしてしまうと、本質的に守らなければならないものを壊してしまうという大きな過ちを犯す可能性が高いと思う。

それでは、天皇の本質的な役割、立場とは何かといえば、それは皇祖の祭り主であり、日本国家の祭り主であるということである。これは、皇室についてある程度の関心を持つ者の間では自明のことだが、数ある天皇の役割の中で、何故それが本質なのかを改めて確認しておきたい。

私は、ことの本質は危機のときや衰退のときに見えてくると考えている。一つの例を挙げれば、それは、建武の新政を行った第 96 代後醍醐天皇が、討幕計画の露見によって、六波羅探題に幽閉されたときである。このとき、鎌倉幕府は、天皇を隠岐に島流しにすることにしたが、臣下が君主を島流しにすることは畏れ多いため、後伏見天皇の第一皇子だった量仁親王を即位させて光厳天皇とし、この天皇の宣旨によって島流しにすることにした。この島流しの前に、幕府は、後醍醐天皇に対して、再び位に就く望みはないのだから出家して法皇になりなさいということで、袈裟を着るように勧めた。ところが、後醍醐天皇は、それを拒否して、毎朝、囚われの身でありながら、祭服を着て、天照大神を拝まれた。これについて「太平記」は、天に2つの日はないけれども、国に2人の主がいるようで、幕府は大変困った、と書いている。つまり、あらゆる役割を奪われて強制的に退位させられても、皇祖の祭りを手放さなければ天皇なのだというのが、庶民に至るまでの常識だった。この常識は「太平記」が盛んに上演された江戸時代まで続いていたと考えられる。ちなみに、後醍醐天皇は、断絶してしまった祭祀や宮中行事を復興し、後世に伝えるために「建武年中行事」と「日中行事」を撰述しておられ、これは現在でも王朝文化や建武の新政の解明に不可欠の基本資料となっている。

もう一つ例を挙げると、第105代の後奈良天皇は、朝廷が最も衰退したときの天皇で、即位礼を行うまでに10年の歳月を要した方だが、治世中に洪水や飢饉が重なったために、天照大神を祀る伊勢神宮に宣命を奉って民の安寧を祈っておられる。

この皇祖の祭り主としての皇位に就く資格こそ、皇統の男系に属しているということであった。

これに関して、まず、排除しておかなければならない誤解がある。それは、皇位継承資格を男系の男子に限ることは、女性蔑視だという主張である。これは木を見て森を見ない議論で、本当の意味は、皇統に属さない男性の排除である。確かに女性は誰も天皇になれないのに、男性なら誰でも天皇になれるというのなら、女性差別と言われても仕方がない。しかしながら、全人類約38億6,700万人の男性のうち、皇位継承権を持っているのは、秋篠宮殿下、悠仁殿下、常陸宮殿下のお三方だけである。これでは、皇統に属さない男性にとって特権でも何でもない。他方、約37億250万人の女性には、男性にはない特権が与えられている。国籍に関係なく、女性なら誰でも、結婚によって日本の皇族になることができる。天皇の母にもなることができる。場合によっては、摂政にもなることができる。しかしながら、皇統に属さない男性は、たとえ日本人であっても、皇族女性と結婚しても皇族にはなることができない。天皇の父にはなることができない。摂政にもなることができない。全女性に認められている特権が、男性には一切認められていない。この現実を見れば、皇室から排除されているのは男性の方であり、女性はむしろ歓迎されている。この「男性排除」の理由は何なのか。それを知ることこそ、皇統の本質と、それを守る意味を理解する最大のポイントだと思う。

皇位継承が皇統に属する男系に限定されているのは、祖先を祀る祭り主の地位は男系・父系で継承される、男系でしか継承できない、というのが古代の観念だったからである。この原則を表している物語が「古事記」と「日本書記」の両方に記録されている。
「日本書紀」によれば次のような話である。

第10代崇神天皇の時代に災害が続いたので、それを鎮めるために占いをしたところ、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)に大物主神(おおものぬしのかみ)が乗り移って、自分を祀れば災害が収まると言った。
そのお告げに従って崇神天皇御自身が祭祀を執り行ったが、一向に効き目がなかった。
そこでもう一度祈ったところ、崇神天皇の夢に大物主神が現れて、大田田根子(おおたたねこ)に自分を祀らせるように告げた。それに従って全国に触れを出すと大田田根子が見つかり、大物主神の子孫であることが分かった。そこで大田田根子に祀らせると災害は収まり、五穀が豊かに実った。こういう物語である。

つまり、祭祀が神に通じるためには、祭り主は祭神と父系で結ばれていなければならない。たとえ、天皇が祈っても父系でつながっていなければ祭祀は通じない。だからこそ、皇祖の祭り主は皇統に属する男系の男子でなければならないのである。この原則は、長い歴史の中で、民間では失われてしまい、それを維持できているのは民間では出雲大社くらいである。

なお、男系の原則は、中世において特に強く意識されていたようである。北畠親房の「神皇正統記」は、男系が続いている天皇を幹として「世」として数え、男系が絶えてしまった天皇を枝として「代」に加えている。私の著書の「皇統論を糺す」の45ページには、中世史家の河内祥輔氏の作図に私が少し手を加えた図がある。ここで驚くのは、親房が皇位に就かなかった継体天皇の先祖を、正統の天皇として「世」数に加えていることである。それほど、男系の継続が重視されていた。

このように、皇位が、天皇という存在が生まれて以来、一貫して男系でつながれてきたという事実こそが、皇位が、古代以来の日本の継続性を保証し、日本国の時間的統合を象徴できる根拠となっている。天皇制度の根拠はまさにこの伝統・継続性にある。

この原則は我々の先祖が守り続けてきたもので、イギリスの保守思想家 G・K・チェスタトンの言葉を借りれば「死者の民主主義」ということになる。彼は次のように述べている。「伝統とは選挙権の時間的拡大と定義してよろしいのである。伝統とは、あらゆる階級のうち最も陽の目を見ぬ階級、われらが祖先に投票権を与えることを意味するのである。死者の民主主義なのだ。単にたまたま今生きて動いているというだけで、今の人間が投票権を独占するなどということは、生者の傲慢な寡頭政治以外の何ものでもない。伝統はこれに屈することを許さない」。

皇位の継承は、皇祖の祭り主の地位の継承であり、その資格を有するのは男系に属する者のみである。これを氏の論理という。この氏を表す名称が「姓」である。中国人や韓国人はこの姓を用いている。姓は父系の継続を表わすので結婚しても変わらない。中国人や韓国人が夫婦別姓なのはこのためである。この氏の観念は古代の日本でも同じで、代表的な姓は「源・平・藤・橘」、源の頼朝、平の清盛、藤原の道長といった「の」が付く呼び名である。

皇室が氏の論理に立っているのに対して、我々一般国民は「家の論理」に立っている。家は、中世以降、武士に強く抱かれるようになった観念で、財産・地位・職業の継承を中心とする。これを継承する集団を表す名称が「苗字(名字)」である。そして、結婚して同じ家という共同体を守ることになった男女は同じ苗字を名乗ることになった。つまり、夫婦同苗字である。

つまり、財産・地位・職業の継承を重んじる家の原理においては、血筋、すなわち父系の継続は二の次で、むしろ、家を守っていけるだけの能力が重視された。そのために、継承者は男性に限られることなく、夫婦とも養子というようなことも起こった。それでも、家は継続していると観念された。

「氏の論理」と「家の論理」は別物であることから、併存が可能で、事実、明治維新までは併存していた。それは著名な人物の正式名を見れば分かる。徳川家康は「徳川 次郎三郎 源朝臣 家康」。徳川という家の、源という血筋の、家康という個人であった。織田信長は「織田 上総之介 平朝臣 信長」。西郷隆盛は「西郷 吉之助 藤原朝臣 隆盛」。

このような氏と家の併存は、近代になって終止符が打たれる。近代化・欧米化の一環として、欧米の制度に日本の諸制度を合わせていく過程で、明治4年10月12日、「姓尸不称令(せいしふしょうれい)」が出され、姓を用いることが禁止された。さらに、明治8年2月13日、「平民苗字必称義務令」が出され、日本人の共同体の一員としての名乗りは苗字に統一されてしまった。これによって、一般国民の間で氏・男系の観念が消えていった。

近世までの人々であれば、皇位の男系継承の意義は難なく理解されたはずだが、「家の論理」への一元化という、近代に「創られた伝統」の中で生きている現代の日本人には即座に理解することが難しい。その理由はここにある。女性宮「家」を創設して、皇位継承を安定化させてもいいではないか、という主張を支持する人々が多い訳もここにある。

日本国憲法第2条は「皇位は、世襲のもの」と定めている。天皇という公的地位に限ってなぜ「世襲」なのか。これが「特権」であることは間違いない。そして、この特権と引き換えに、天皇とその地位に就く可能性のある皇族の人権は著しく制約されている。
「世襲制」を言い換えれば「血統主義」となる。ある公職をある血統に属するものだけが独占する世襲制はそもそも平等原則とは相入れない。それにもかかわらず、「男女」平等だけを取り出して認めようするのは論理的に破綻している。これについては、私と正反対の立場にある論者の発言を取り上げる方が、ことの本質を明確にできると思うので、あえて紹介する。

「「萬世一系」の研究」という著書のある憲法学者の奥平康弘氏である。彼は「天皇制は民主主義とは両立しない」「民主主義は共和制と結びつくしかない」という立場で、「天皇制」の正統性の根拠は「萬世一系」にあると述べ、「萬世一系」とは「男系・男子による血統の引き継ぎ」であり、ここから外れた制度を容認する施策は「いかなる「伝統的」根拠も持ちえない」と言いきっている。

彼の議論をもう少し詳しく紹介する。

「そもそも世襲制というものは、それ自体差別的・非合理的な制度である」。
「ポピュリスティックなフェミニストの間には、「女性だというだけで天皇になれないなんて差別的であり、違憲であって許せない」という言い方が流行している。しかし、この言説は、私から見れば、少なくとも2つの誤りを犯している。第一、女だけではなくしてどんな男だって「皇胤(こういん)」につながっていない限りは、女一般と同じように天皇になれないのである。問題の根源は、女か男かではなくて、特権的差別集団を認めるか認めないかにある。第二、平等原則は、そこで問われている差別の対象としての権利義務、利益不利益がたまたま特定の人間あるいは集団にのみ関わっているように見えても、そのことは本質上コミュニティを構成する全ての人々に潜在的に影響する場合、あるいはコミュニティの存立に関わってきた市民、「平等な配慮と尊厳」に値する者たちが共有する人間的な尊厳性が傷つけられた場合、こうした場合にその適用が問われるのである。
ところが、ここで議論されている差別は、皇位継承権という特権的な権能・地位の取得という、際だって特別な文脈において生じているのであって、これを巡る法的帰趨は、この文脈から遠く隔たっている庶民一般の権利義務・利益不利益の関係には何の影響も効果も及ぼさない」。
「皇位継承という特殊な法領域に、権利保障体系という市民向けの一般原則をいきなり適用させようとすることは、方法として正しくないとするのが、私の立場である」。

彼の言い方を私の言い方に直せば、そもそも「世襲」という大きな例外、特別の地位を認めておきながら、それに伴う基本的人権の著しい制約、すなわち職業選択、居住、婚姻などの中から男女同権だけを優先すべき理由はないということである。

平等原則とは両立しない血統主義・世襲制の中に、無理やり男女平等だけを持ち込もうとすると、その結末はどうなるのか。まず、男系継承が否定されて、天皇は皇祖を祀る資格を失う。女性天皇が、皇統に属さない男性と結婚すると、その間に生まれた子は、その男性の先祖を祀る資格しか持てない。そうなると、その天皇は皇祖を祀れないので、信教は自由で良いことになる。その次に待っているのは、その他の人権も認めるべきだという議論であり、その行き着くところは、天皇・皇族と一般国民との違いの喪失である。そうなれば、どうして莫大な費用をかけて皇室を維持する必要があるのかという議論が巻き起こり、結局、「世襲」の否定、天皇制度の廃止へとつながっていくことだろう。

奥平氏は次のようにも述べている。「不合理な制度を作ったのは、憲法(とりわけ第1条、第2条)なのであって、憲法自体を改めなければならないのである。個別の取り決めを違憲だと決めつけても片付くものではない。きつい言葉で言えば、それはお門違いである」。本心では天皇制度の廃止を願っている人々が、女性天皇や女系天皇を支持するのは、実は男女平等を願ってのことではなく、天皇制度の根幹を断ち切るためなのである。

日本国憲法第1条は、「天皇の地位は主権の存する日本国民の総意に基づく」と規定している。しかし、この「総意」は今生きている国民の投票によって確認されたものではない。それでは、どのようにして確認されたのか。それは、受け継がれて来た伝統から推察される先祖たちの意思と、それに対する憲法制定当時の国民の暗黙の同意とが合体したものだったと考えるほかない。その時々の国民の意思を選挙によって確認する空間的民主主義だけでは第1条は説明できない。そこでは、先祖の意思を重んじる時間的民主主義が前提とされており、それが天皇制度の前提をなす「伝統」なのである。

今一度、チェスタトンの言葉を引用して、話を終わりたい。「単にたまたま今生きて動いているというだけで、今の人間が投票権を独占するなどということは、生者の傲慢な寡頭政治以外の何物でもない。伝統はこれに屈することを許さない」。

さて、私のそのほかの問いのお答えを最後にしておきたい。

問2、皇族の役割だが、2つあり、1つは氏の論理による男系継承の維持、もう1つは家の論理による家業の分担、これが皇族の役割だと思う。

問3、皇位継承については危機的状態にあると思う。

問5、皇統に属する男系の男子との婚姻を前提とする場合以外は皇統の断絶となるため、女性の天皇の継承は不可である。イギリスにおいても女王の子が即位すると王朝名は父方に変わってきた。

問6も、皇統断絶、王朝の交代となるため不可である。

問7、家の観念に従えば、家業を助けるためにあり得る。しかしながら、配偶者や生
まれてくる子に皇位継承権を与えることはできない。

問8の答えも問7と同じである。

問9、選択肢を広げる意味で、両方とも認めるべきだと思う。皇位継承順位については、臣籍降下時点での順位に基づき、旧宮家が今日まで続いていた場合を想定して決めるべきだと思う。

問 10、混乱を避けるために、旧宮家の男系男子以外の皇籍復帰については、今は考えるべきではないと思う。

以上である。

イ 意見交換

有識者会議メンバーと新田氏との間で、次のような質疑応答があった。

・ 過去の歴史の中には女性天皇が存在しており、男系の女子が天皇になることを認めてもよいという意見もあるが、どう考えるか。
・ 歴史的に見れば可能である。次の男系男子に繋げるために女性天皇が立たれたことはある。そして、男系でも女系でも以前の天皇に繋がるという天皇は二人おられる。ただし、今回の問題は、次の男系男子に繋げるためではなくて、そもそも、皇位継承者を確保するためにはどうしたらよいかということなので、女性天皇は本質的な解決策にはならない。
一つの例えを申し上げたい。近代になって、伊勢神宮の式年遷宮用の木材の不足が懸念された時、明治政府内で、耐久性を高めるために、遷宮の建築様式を掘っ立て柱からコンクリートの礎石に変えるというような話が持ち上がった。それを、明治天皇に申し上げたところ、建築様式を変えるのではなく、木を増やしなさいとおっしゃられた。そこで、木曽の山に、遷宮に備えるための神宮備林が設定された。明治天皇が今おられたら、同様のことをおっしゃると私は思う。

・ 問10に対するお答えについては、旧宮家が、GHQが廃止したものを元に戻す形で元の宮家として皇籍に復帰する、あるいは、断絶の可能性のある宮家との養子縁組によって元々のGHQが廃止した宮家ではない、新しい形で皇籍に入るといったいろいろな選択肢があると考えられ、また、復帰については旧宮家の中である程度順位を決めて限定するといった考え方もあると思うが、問10で示されたお考えをもう少しお伺いしたい。
・ 最初に申し上げた目的と手段というところを考えると、手段に関しては、男系が維持できるのであれば、そのときの議論によって最もいい、逆に言うとやりやすい、納得されやすいものを選択していけばいいのではないかと思っている。
一度臣籍に降られた方々にお戻りいただくことに対する批判もあるが、旧宮家に関しては、我々日本人の意思でそうしたわけではなく、外からの強制でそうなったわけだから、それ以前に降下された方々と同じに扱うことはできない。その異常な歴史を元に戻すという意味で、今回の議論は旧宮家の方々に限定すべきだと思う。
そこから先については、先生方や皇室会議などで、最もいい案を選択していただければいいのではないかと思う。

以上の意見陳述及び意見交換の後、座長から謝意を述べ、新田氏からのヒアリングを終了した。

(6) 八木秀次氏(麗澤大学教授)からの意見陳述及び意見交換

資料6 : 八木 秀次 麗澤大学教授 説明資料(PDF/3,983KB)

ア 意見陳述

座長からの紹介の後、次のように八木氏から意見陳述があった。

資料6、このレジュメに従ってお話をさせていただく。後ほど聴取項目については具体的にお答えするが、その前に、議論の前提をあえて説明させていただきたい。

まず、「安定的な皇位継承を確保するための諸課題」についての検討は、皇位継承問題と一体不可分であるということ。皇位継承問題については、皇位継承の原因、資格、順位の3つがある。

原因については、皇室典範特例法の制定と施行で一応の解決を見た。当面は解決していると思われる。

この有識者会議での議論は、皇位継承の資格、皇位継承の順位、これらに関わることであろうと思う。皇位継承の資格については、初代天皇、歴史学では第10代崇神天皇が実質上の初代天皇と考えているようだが、それ以来、一貫して一度の例外なく男系で継承されている、男系継承ということである。男系継承とは、基本的には皇統に属する男子だけで皇位を継承することを言う。歴代の天皇から見れば、父方だけをたどると、以前の天皇との血縁があるということである。

改めて男系・女系についての御説明を、余分なことかもしれないが、あえてさせていただきたい。ここにお示ししたのは、小泉内閣のときの有識者会議の配布資料に加筆をしたものである。天皇の子孫が 11 人いるということになるが、皇位継承資格がある男系男子は四角で囲った男子B、男子F、男子Kの3人のみである。男系継承は、皇位継承資格者を絞り込むということである。女系継承を容認すれば、皇位継承資格者は女子A~男子Kの全員となる。

こうして、皇位継承資格者は増え、安定的な皇位継承を確保できるとも言えるが、女系は天皇・皇族としての正統性が問われることになる。女系は、男女にかかわらず、民間人=一般国民となる血筋である。女系継承を認めると、天皇・皇族と一般国民との間に質的な違いはなくなる。一般国民も天皇の女系の子孫ともいうことができ、潜在的に一般国民も皇位継承資格を有することになる。

皇位継承問題を考える場合、一般国民の家の継承と混同してはならないということである。一般国民の家の継承は財産継承であり、能力原理が働くが、皇位継承については、天皇の地位の継承であるから、初代天皇の男系の血統を純粋に継承している者のみが継承できるという血統原理に基づいている。

男系継承の中で、過去に8人10代の女性天皇が存在している。その即位に関する事情の類型は以下のとおりであるが、とりわけ元明天皇と元正天皇、これは母から娘への2代にわたる女性天皇だが、文武天皇から聖武天皇への継承を確実にするための中継ぎであったと考えられている。女系継承を意味するものではないということである。

女性天皇の即位の経緯を見ても、これは男系女子ということであるが、男系女子が皇族以外の者と結婚して生まれた子どもは、男女にかかわらず皇室から見れば女系となる。それが皇位に就いた例はなく、皇族になった例もない。明治の皇室典範、現在の皇室典範では、男系の男子に限定し、女性天皇を排除している。

天皇の地位の男系継承は、少なくとも1,700年以上、一度の例外もなく続いている。その歴史の積み重ねの重みは軽くないと思われる。

次に、「安定的な皇位継承を確保する」ことは、どんな時代にも難しい問題であり続けているということである。そこには2つの側面がある。1つは、増えすぎた皇位継承資格者を減少させ、一定数の皇位継承資格者にとどめるということ、2番目としては、少なすぎる皇位継承資格者を増加させ、一定数の皇位継承資格者を確保するということである。

1番目の、増えすぎた皇位継承資格者を減少させ、一定数の皇位継承資格者にとどめる策として、歴史上考えられてきたのは、「皇親」、これは皇位継承資格のある皇族のことをいうが、この世数を限定するということで、養老令の「継嗣令」にその記述がある。すなわち、天皇の玄孫の子は王名を称することはできるが、皇位継承資格はない、といって限定してきた。しかし、その基準は次第になし崩しになったと考えられている。また、賜姓降下(しせいこうか)、皇親に姓を賜い臣籍に降下させること、宮門跡(みやもんぜき)、寺院の門跡、僧籍になるということ、さらに、皇別摂家、こういったことが考えられてきた。

次に、少なすぎる皇位継承資格者を増加させ、一定数の皇位継承資格者を確保する策として考えられてきたのは、いったん賜姓降下した後、再び皇籍に復帰するということである。これは、第59代宇多天皇と第60代醍醐天皇の例がある。さらに、親王宣下、世襲親王家、還俗などによる宮家増設。宮門跡になって、出家した後、もう一回皇族に戻るということである。

この2つの対応策があるわけだが、明治以降、この2つの間で激しい振幅があった。明治以降、伏見宮系の宮家が次々に創設された。背景には朝廷の権威の強化と、明治天皇の皇位継承への不安があったことが指摘されている。明治22年に皇室典範が制定されるが、そこでは臣籍降下の規定を設けない「永世皇族制」となっている。政府としては、皇族の増加が予想されることから臣籍降下の規定を設けたいが、明治天皇の皇位継承への不安から臣籍降下の規定は設けなかった、といわれている。

しかしながら、明治40年に臣籍降下を可能にする「皇室典範増補」が施行された。その背景には、皇位継承への不安が払拭されたということがあったようだ。しかし、この「皇室典範増補」だが、臣籍降下が「情願」によるものであったために、臣籍降下は1人にとどまっている。

そこで、大正9年、「皇族ノ降下ニ関スル施行準則」を設け、世数による臣籍降下をすることにした。こうして、情願がなくても臣籍降下ができるようになり、先の大戦終結までに12人の皇族が臣籍降下をした。

戦後は、現在の皇室典範が昭和22年に制定され、そこでは「永世皇族制」とし、臣籍降下の規定を設けなかった。その直後、傍系宮家、すなわち伏見宮系の宮家の強制的な臣籍降下が昭和22年10月14日に行われ、こうして、3直宮を除く11宮家51方が皇族の身分を離れることになった。

しかし、直宮だけの永世皇族制は、今、行き詰まろうとしている。今上天皇の次の世代は秋篠宮の1親王、悠仁親王のみというのが現在である。

次に、直系継承だけで男系継承を続けるのは極めて難しいということである。そこで、男系継承を続ける上では歴史上、何度も傍系継承があった。その傍系継承が、男系継承の安全装置となっている。

5ページに傍系継承の例を挙げている。詳細は別添の天皇系図を後ほど御覧いただきたいが、例えば、②武烈天皇から継体天皇へ10親等の隔たり、⑤称徳天皇から光仁天皇へ8親等の隔たり、⑧、これは南北朝の合一だが、後亀山天皇から後小松天皇へ12親等の隔たり、⑨称光天皇から後花園天皇へ8親等の隔たり、⑩後桃園天皇から光格天皇へ7親等の隔たりである。言ってみれば、曽祖父の弟の孫へ継承されたということである。私たちに照らせば、誰なんだろうという関係にある。私は少なくとも自分の曾祖父の弟の孫は知らない。

こうして傍系継承が行われているということである。とりわけ⑩の光格天皇へというところだが、この光格天皇が現在の皇室の直系の祖先となる。以後、直系で継承されている。これだけ長い期間、直系で継承されたというのは、皇位継承の歴史の中では、極めて稀有な例である。

ちなみに、光格天皇が即位するに当たって、伏見宮の第 19 代貞敬親王も後継候補に名が挙がっていたということも付け加えておきたい。

そして、第102代後花園天皇が伏見宮の出身、第119代光格天皇が閑院宮の出身であ
る。

伏見宮系の宮家は、明治天皇、大正天皇、昭和天皇を支え、天皇の内親王の結婚相手ともなっている。皇太子妃、後に皇后となった例として、香淳皇后の例がある。

次に、皇位継承を支えた側室の役割についても触れておきたい。かつては医療技術も未熟で乳幼児期の死亡率が極めて高く、安定的な皇位継承策のために、複数の「妻」が子どもを産む必要があった。しかし、今日では医療技術の進歩により、その点が解消されている。今日の「安定的な皇位継承策」を考える上では、側室を考える必要はないということである。

以上の点を踏まえたおおよその結論として、皇位の継承資格については、男系継承は皇位継承の確立した原理と言える。天皇としての正統性、皇族としての正統性は、初代天皇以来の純粋な男系の血統に連なっていることにあると考える。その上で、皇位継承資格者の数が多すぎれば、その数を限定し、少なすぎれば、その数を増やすなどの策を講じてきた。

男系継承は譲り得ない皇位継承の原理であり、その安全装置としての傍系継承や傍系皇族の存在の意義を考えるべきである。具体的には、旧 11 宮家の男系男子孫を皇族とする方策を検討すべきである。旧宮家の男系男子孫は皇室典範のいう「皇統に属する男系の男子」であり、現在は皇族の身分ではないが、皇族としての正統性はあると考えられる。

現在の皇室との血縁が遠いとの指摘もあるが、その点は本質的な問題ではない。初代天皇の男系の血統を純粋に継承していることが皇族としての正統性の根拠である。また、皇族とはどの天皇の子孫であるか、という起点の問題を考えなければならない。直近の天皇の子孫であるとともに、歴代天皇の純粋な男系子孫であることも皇族としての正統性の根拠となる。現在の皇族方は、大正天皇の男系子孫であるという点も指摘しておきたい。

次に、女性天皇や女系継承、女性宮家が適当でなく、男系継承が現行憲法で許されている理由については、昭和21年当時の政府見解があり、その点については注の1及び2で載せている。

以下、聴取項目について。天皇の役割や活動ということだが、役割や活動という機能の問題の前に、存在の問題があると考える。天皇とは何かという存在の問題をこれまで述べてきた。天皇の役割・活動については、国事行為、公的行為、その他の活動があり、また、伝統的に民の父母としての役割があると考えられる。

問2、皇族の役割や活動だが、この問題についても、皇族とは何かという存在の問題を考えることが前提となる。

問3、皇族数の減少についてだが、直系だけによる男系継承を続けることは難しく、皇族数の減少とともに皇位継承が行き詰まることが歴史上何度もあった。その際には、男系継承を前提とした上での皇族数の増加が図られたということだ。

問4、女性皇族が婚姻に伴い皇族の身分を離れることについてである。女性皇族が皇族以外の男子と結婚した場合は、皇族の身分を離れること、これは不変の原理であると考えられる。問題は、皇族以外の男子と結婚した場合の配偶者の身分・処遇である。配偶者が皇族の身分を得た例は歴史上一例もない。そのような例を避けるため、現行の皇室典範は、第15条を特に設けている。

問5、内親王に皇位継承資格を認めることについて、これは天皇に即位するパターンと、宮家の当主になるというパターンの2つがあろうかと思う。8ページを御覧いただきたい。この問題だが、当事者である内親王・女王が、自らに皇位継承資格を認めることを受け入れるかという問題があるかと思う。また、配偶者、子の身分・処遇、そして子に皇位継承資格を認めるかの問題があるかと思う。子を皇族とし、皇位継承資格を認めれば、歴史上例のない女系の皇族が誕生し、女系継承が始まることになる。男系継承を天皇・皇族である正統性の根拠と考えれば、配偶者・子の皇族としての正統性が問われることになる。

問6だが、女系に拡大することについては、皇位継承の原理についての一大変革を意味し、ここでも天皇・皇族としての正統性が問われるということになり、天皇制廃絶への道につながると考えられる。

問7、内親王・女王が婚姻後も皇族の身分を保持することについてだが、これも皇位継承資格を有する場合と、有せずに皇族の身分を保持するにとどまるという2つの類型がある。後者については、皇位継承資格は有せず、皇族の身分を保持するにとどまるのであるから、子も皇位継承資格を有しないと考えられ、安定的な皇位継承に資することはないということになる。

問8だが、身分は一般国民で、特別職の国家公務員となることが考えられる。ここでは、皇族の身分を離れた一般国民が皇室の公務の一部を担うことの可否が問題になる。ただし、皇室の活動を「支援」するとすれば、憲法上の問題はクリアできるのではないかとも考えられる。

問9については、①、②の案について、いずれも賛成であるということを申したい。まずは、皇統に属する男系の男子の皇籍取得を可能とする立法を行った上で、対象者の意向も踏まえつつ、皇籍取得を行うのが良いと考える。皇位継承順位については、伏見宮系の旧宮家の実系、すなわち生まれた順によるとすれば、恣意も入らず、混乱もないと考える。

問10については、他に特段の対応方策は考えていない。

最後に、本質的な問題が突きつけられていると考えている。引用したのは憲法学者の奥平康弘氏がかつて書いたものである。時間の関係で読むことはしないが、ポイントだけまとめている。奥平氏は天皇制廃絶論者でもあるわけだが、どうぞ時流に乗って女系継承容認をやってください、それが実現した暁には必ず天皇としての正統性の問題を生ずるぞということを言っている。果たして男系継承から外れた女系の「天皇」とやらに天皇としての正統性があるのか、答えられるのか、という本質的な問題を突きつけている。

これを踏まえて、古来我が国の数知れぬ多くの人たちが、今上天皇に至る「皇統」を守ってきた。ここで言う「皇統」とは、初代以来の男系の血筋以外の何ものでもない。皇統断絶の危機は過去に何度もあったが、その際にいずれも、先代の天皇とは血筋の遠い関係であったが、初代天皇以来の純粋な男系の血筋の継承者が次の皇位継承者となった。「皇統」をつなぐために関係者の並々ならぬ努力があったということである。第二次世界大戦末期には皇統をつなぐことを「国体護持」ともいい、そのために数多くの尊い命が失われたということも付記しておきたい。

「女系継承」容認は、これまで天皇の正統性の根拠とされてきた「男系継承」からの根本的な転換を意味し、これまで天皇や皇族として正統性を有しなかった者を天皇や皇族としての有資格者とし、実際に天皇や皇族とすることを意味する。果たしてそうして天皇や皇族となった者に天皇や皇族としての正統性はあるのか、という問題が浮上する。

今、求められているのは、女系に皇位継承資格を認めるということではなく、それよりも、同じく初代天皇の男系の血統を純粋に継承し、創設以来、大きな役割を果たしてきた、「もう1つの皇統」あるいは「傍系の皇統」とも言うべき伏見宮系の旧宮家の男系男子孫に、何らかの方法で皇籍に復帰してもらう措置を考えることである。これ以外に安定的な皇位継承策はないと考える。

イ 意見交換

有識者会議メンバーと八木氏との間で、次のような質疑応答があった。

・ 一般の国民世論からすると、70年間民間人として暮らしてこられた方について、皇族として国民から受け入れられるのかという意見があるが、どのように考えるか。
・ まず、現段階において、一般の国民は皇位継承の仕組みをほとんど理解していない。また、かつての傍系継承の例、すなわち、非常に血筋の離れたところから次の天皇になった例があるということなどについての理解もほぼされていない。さらに、具体的に旧宮家の男系男子孫にどういう人がいるのかということについても、ほとんど何も知られていない。
いずれにしても一般の人たちは何も現段階では知っていないということである。
これを一般の人たちがよくよく理解した上で、それでも女系継承でいいのだということであれば、私は、それはそれで一つの判断だとは思うが、何も知らない人に世論調査して、何パーセント賛成で何パーセント反対だということを根拠にしたところで説得力はない。それよりも、我々のような専門家が、こういった仕組みについて正しく説明し、国民の人たちにも理解してもらうということが必要であろうかと思っている。

・ 国民は、皇室について知識として知らなくともその姿をメディアを通じて見てきてイメージを持っている一方、旧宮家についてはまったく分からずイメージを持てていない。旧宮家の男系男子の方々がどういう人なのか分かってくれば、また変わってくるのかもしれない。八木先生がおっしゃることと、こうしたイメージや世論との差を埋めていくためにはどうすればよいか。天皇・皇室は敬愛の対象であるという共通認識が国民にある中で、旧宮家についてどのように国民に伝えていけばよいとお考えか。
・ 今日も先生方の前で、今さらながら男系継承とは何なのかという基本的なことを説明させていただいた。これも正しく理解している人はそう多くない。公共放送であっても、男系継承、女系継承とはどういうことなのかということについて、私の知る限り、私が生放送に出たときに5分間だけアナウンサーが説明したことがNHKとしては初めてだというふうに言っており、以後の説明もない。また、今日の発表の中でも、一般の家の継承と違うのであるという点、ここもしっかり理解をしていただかないと判断を誤るのではないかなというふうに思う。
皇位継承というのは血統原理である。ここが差別だという言い方がされるのかもしれない。しかしながら、天皇の存在自体が憲法第14条の例外というふうに憲法学でも考えている。別枠の存在であり、古来から確立したシステムである。そういう理解が必要だと思う。私は、これは制度だと思っている。
したがって、具体的なイメージも大事であるが、これは少なくとも1,700年以上行われてきたシステムである。これを今の段階で大きく変える必要があるのかどうかという判断がここで行われるべきだろうと思っている。直接質問にお答えできたか分からないが、以上である。

以上の意見陳述及び意見交換の後、座長から謝意を述べ、八木氏からのヒアリングを終了した。

(7) 第3回会議における有識者ヒアリング対象者

資料7 : 第3回会議における有識者ヒアリング対象者(案)(PDF/158KB)

資料7「第3回会議における有識者ヒアリング対象者(案)」 について、事務局からヒアリング対象の候補者の紹介を行い、資料7に記載の4名の方からヒアリングを行うことを決定した。

(8) その他

第3回会議については、4月 21 日(水)16:45 から開催することとなった

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