マンリオ・カデロ閣下 サンマリノ共和国駐日特命全権大使
皆さん、今日はありがとうございます。私はサンマリノ共和国の特命全権大使でございます。大変今日光栄でございます。山東昭子様、本当にありがとうございます。伏見殿下、麻生太郎閣下、政治家の皆様、ありがとうございます。今日は大変緊張していますが、ただ非常に嬉しいです。
私は日本の国が心から大好きです。日本は、アジアの中のダイヤモンドの国です。いろんな素晴らしい哲学を日本に来てから勉強しました。
とくに神道の素晴らしい哲学、これは間違いなく縄文時代から今日までずっと続いている日本の大きな財産です。
日本の天皇陛下のご祖先は九州の高千穂を基盤にして、やがて神武天皇が東へ向かわれ、都を開かれました。日本は世界で一番古い国、神武天皇から現在、2684年でございます。素晴らしいことです。126代の天皇様が続いてこられて素晴らしい文化の国、他の何処にも無いユニークな国、日本となりました。
日本の伝統文化は1日、2日でできたのではありません。縄文時代からずっと続いてきた日本の素晴らしい伝統文化を語るには5分では足りません。ただ、世界中が日本をすごく尊敬しているし、今アジアの国が大変活躍しているのも、間違いなく日本のおかげでございます。
私が一番初めに日本に来た時は、ジャーナリストでした。1964年の東京オリンピックの時でした。卒業したばかりのパリ大学から日本にきました。私は、別にオリンピックに興味があった訳じゃないのです。日本の国に興味があったのです。
半年ほど生活をして、日本の大変素晴らしいことがいろいろと見つかり、理解しました。当時、イタリアの新聞で、初めて日本の文化や教育とか説明したら、みんな信じませんでした。10年ぐらい経って、出版社の方から、「いやあ、あなたはジャーナリストという以上に占い師ですよ。日本のことは全て当たっていました」と言われました。すごく嬉しかった。日本でジャーナリストを28年間続けました。その後、サンマリノ共和国の駐日大使になりました。
サンマリノと日本には、共通するユニークなことがあります。日本は世界で一番古い君主国。今日現在、神武天皇から2684年。サンマリノは小さな共和国ですが、1723年続いていて、日本の次に古い、世界で2番目に古い国がサンマリノです。サンマリノには軍人・軍隊がありません。戦争をしたことのない、平和な国です。
そして2014年、皆さんのおかげで、ヨーロッパ初の神社がサンマリノにできました。サンマリノ神社です。東日本大震災から3年、地震・津波で亡くなった方々を慰霊するメモリアル神社でもあります。
この神社は作る前に神社本庁と宮内庁と、それから外務省にも許可をもらってからできました。あのときの外務大臣が麻生太郎様でございます。お陰様でやっとサンマリノ神社ができました。ありがとうございます。
お社は、伊勢の職人さんが作ったものを一旦バラバラにして、サンマリノに送って現地で組み立てられました。2014年6月のオープニングセレモニーには、安部晋三首相のお母さま、安倍洋子様にもご参列いただきました。東京大神宮の松山権宮司をはじめとする神官さんが御祓しました。こうして神社が始まりました。
それから毎年6月末に、サンマリノ神社を中心としたお祭りを行っております。今年は5月末にサンマリノ神社十周年をお祝いするお祭りを行いました。日本からもたくさんの方々がお見えになり、賑やかなお祭りとなりました。昨年からは中目黒から送られましたお神輿も出ており、みんなで担ぎました。今後も毎年、6月前後にサンマリノまつりを行う予定ですので、皆さんにはぜひサンマリノにいらしていただきたいです。
私は大変嬉しく思っております。今日は本当にありがとうございます。いろんなことをお話ししたいですが、時間の問題でここまでにします。皆さん本当にありがとうございました。
麻生太郎 自民党副総裁(「安定的な皇位継承の確保に関する懇談会」会長)
麻生太郎です。自由民主党を代表して一言ご挨拶をさせていただきます。
本日は山東昭子新会長のもとで「皇室の伝統を守る国民の会」総会が盛大に開催されますこと、心よりお喜びを申し上げるものであります。お招きをいただきまして誠に有難う存じます。また平素より皇室の安寧と安泰、そしてその伝統を守り抜く思いを共有しておられる方々に、あらためて敬意と感謝を表するものであります。
さて一昨年、衆参両院議長から、有識者会議の報告書に基づき、各党各会派において議論するようにとの要請がありました。
そこで自民党におきましては、総裁が設けられます特別の機関として、「安定的な皇位継承の確保に関する懇談会」を設置、私がその会長を務めさせていただくことになりました。有識者会議における議論を、経過また報告書について検討を行っているところであります。
そして自由民主党は、「安定的な皇位継承のあり方に関する所見」を取りまとめ、去る4月26日、衆参両院議長に提出をさせていただいております。皇位継承という、日本にとりまして、国柄・国体・国家の根幹に関わります極めて重要な事柄について、制度的な安定性の確保には万全を期さなければならないと思っております。また次の世代の皇位継承者がいらっしゃる中で、皇位継承の仕組みを大きく変更することは、慎重の上にも慎重であることが求められていると考えております。
以上の見地から、自由民主党としては、秋篠宮皇嗣殿下、悠仁親王殿下という皇位継承の流れをゆるがせにしてはならない。そして悠仁親王殿下の次の世代以降の皇位継承につきましては、今後の経過を踏まえつつ、静謐な環境の中で議論を深めていくべきものであると考えております。安定的な皇位継承の確保はまさに我が国の根幹、国柄にかかわります極めて重要な問題であり、国論を二分するようなことはゆめゆめあってはならないと考えております。
皇室会議などのいわゆる皇室制度が、複数の皇族がいらっしゃるということを前提として成り立っていること。また現在、皇族方が果たしておられる役割が極めて広範囲にわたっておりますということ、さらに悠仁親王殿下以外5名の未婚の皇族方が全て女性であることなどを考慮すれば、皇族数の確保というものは喫緊の課題であると考えております。
このような現状に鑑みまして、自由民主党としては、まずは皇位継承の問題とは切り離して、速やかに皇族数確保のための方策を講じ、その先に安定的な皇位継承の道筋を見いだしていくべきであろうという基本的な考え方であります。
静謐な環境の中で真摯な協議を重ねて、立法府の総意を築き上げていくことこそ、全国民を代表して国会に議席を有する各党各会派に課せられた責務であろうと考えております。
自由民主党は安定的な皇位継承と、皇族数確保のため、誠意を持って各党各会派との協議に臨み、速やかに合意とその実行に全力を尽くして参りますことをお約束申し上げ、私からのご挨拶にかえさせていただきます。ありがとうございました。
野田国義 立憲民主党・参議院議員(「安定的な皇位継承に関する検討委員会」副委員長)
立憲民主党の「安定的な皇位継承に関する検討委員会」の副委員長で、参議院議員の野田国義でございます。本日は、「皇室の伝統を守る国民の会」総会にお招きをくださいまして、ありがとうございます。立憲民主党を代表して一言ご挨拶申し上げます。
平成29年6月に「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」が成立し、「安定的な皇位継承を確保するための諸課題、女性宮家の創設等について、本法施行後速やかに、皇族方の御事情等を踏まえ、全体として整合性がとれるよう検討を行い、その結果を、速やかに国会に報告すること」との付帯決議が行われました。
政府の有識者会議は、令和3年12月に報告書の取りまとめを行い、令和4年1月、衆参両院は、皇室典範特例法案に対する付帯決議に基づく政府における検討結果の報告を受けました。一方、立憲民主党は、野田佳彦元内閣総理大臣を委員長とする代表直轄の「安定的な皇位継承に関する検討委員会」において、取り組みを進めてまいりましたが、昨年末の額賀衆議院議長、海江田副議長からの立法府としての対応について協議を行うべく各党内の議論を深めていただきたい旨の要請を真摯に受け止め、これまでの経緯を整理しながら、立法府の総意をまとめる方向をしっかり後押しをしていくとの思いで党内議論を重ね、本年3月12日に論点整理を決定したところであります。
論点整理では、皇族方の減少について、女性皇族が婚姻後も皇族として残るとした上で、配偶者や子を皇族にしない案だけではなく、配偶者と子に関して皇族の身分を付与する案についてもしっかりと検討すべきであると、旧11宮家の男系男子を養子に迎える案については、対象者となる方々の意思確認や、憲法上の課題を十分議論しなければならないことなどを指摘し、それぞれの案のプラスマイナスを記したところであります。
論点整理であり、あくまでも幅広に各党と協議し真摯に合意形成を図る議論に臨んでいきたいと考えます。各党会派の意見が出揃ったことから、5月17日、23日と2回にわたり、衆参正副議長の主催する立法府の対応に関する全体会議が開かれ、6月14日には個別の意見聴取が行われました。その場でも、論点整理に基づく我が党の考え方を申し上げたところでございます。
日本国憲法に基づき、国民の総意に向けて立法府として主体的に建設的な議論を尽くすべきであり、議論の経過をオープンにして、国民の皆様にしっかりと提示していくことや、国民世論の動向も踏まえるべきであることも大切な課題であります。
通常国会中の結論は得ることはなりませんでしたが、女性皇族の問題などに悠長に構える話ではなく、時間はあまり残されておりません。一方で、国家千年の計に関わるものを拙速にやるべきではないことも当然であります。
正副議長には、国会が閉じた後でも、夏休み返上で精力的に意見交換を行う決意がある旨を申し上げており、とにかく各党各会派の議論の頻度を重ね、丁寧な議論を通じて、立法府の総意を作っていくことに貢献してまいりたいと考えているところであります。
最後に、立憲民主党は、安定的な皇位継承に向けての取り組みを加速させることを強い決意のもと進めていくことを申し上げ、挨拶に代えさせていただきたいと思います。ありがとうございました。
北側一雄 公明党副代表(「皇室典範改正検討委員会」委員長)
ご紹介いただきました公明党の副代表をしております北側一雄でございます。
私は、地元は大阪の堺でございます。私の家の近所には、すぐ隣接しているのですが、仁徳天皇陵がございます。世界遺産に指定された仁徳陵を初めとする百舌鳥古墳群が私の地元でございます。隣の地域には応神陵を初めとする、古市古墳群があります。一つ山を越えますと飛鳥の都、そして櫻井の都があります。多くの天皇陵を初めとする古墳がございます。私はそれを目の当たりにしておりまして、やはり歴史の重みというものを感じざるを得ません。
先ほどらいお話があります通り、安定的な皇位継承を確保していくというのは、国家の基本に関わることであると認識をしております。現在の皇族数の減少の問題はやはり、この安定的な皇位継承という観点からも非常に深刻な課題であると思います。安定的な皇位継承のあり方を検討するにあたっては、やはり一定の皇族の方々がいらっしゃるということが非常に重要であると考えております。
ただし、その検討に当たりましては、皇位継承の流れを不安定化させてはならないということをしっかりと念頭に置いて議論を進めていかねばならないとも思っております。
皇族数の確保を図ることは喫緊の課題でございます。この喫緊の課題と安定的な皇位継承策をどうしていくのか、こういう二つの課題については、一旦立て分けて論議を進めていかないといけないのではないかと思っております。検討に当たりましては、やはり国民の理解を得ていくことが最も肝要であります。
そういう意味で、今日は、5つの政党会派の代表の方々がいらっしゃるわけでございますが、少なくともこの五会派の間で、一定の合意が形成されていくことがとても重要であると思っております。是非この夏にも精力的に議論を重ねて、この五会派間で一定の合意が形成されるようにしっかり努めてまいりたいと思いますし、その上で、次の国会で制度改正が実現できるように全力で取り組んで参りますことを皆様にお約束させていただきたいと思います。
今日の「皇室の伝統を守る国民の会」総会のご盛会を心からお祝いを申し上げたいと思います。ありがとうございます。
馬場伸幸 日本維新の会代表
日本維新の会代表の馬場伸幸でございます。先ほどご挨拶されました公明党の北側先生は堺市のご出身でございます。実は私も大阪の堺の出身でございまして、皆様方の席の方には、堺の池尻市議会議員もお越しをいただいております。北側先生の近くには古墳群があるというご紹介がございました。私の地元、堺の大鳥には「大鳥大社」という官幣大社がございます。ご祭神はヤマトタケルの命であり、皇族の皆様方にも非常に縁(ゆかり)のあるご祭神を祀らせていただいており、私の家も代々この神社のお手伝いをさせていただいております。
したがいまして、この皇位の安定的な継承についてという問題については、公私にわたって注目をさせていただいております。
先ほどからお話がございますように、令和4年1月に有識者の皆様方から、貴重な報告書を、国会の方に頂戴いたしました。すぐにこれを各政党で議論をするようにというお達しがございましたが、他の政党は歩みが遅かったと思います。
我々は令和4年4月には「皇室制度調査会」という党の機関を通じて、この有識者会議からの報告書を、特に今日この活動方針の中に書いて頂いている3項目を「高く評価をする」「概ね同意をする」ということを衆参の議長にお届けをさせていただきました。
そこから先ほどからお話がございますような各政党の御議論があったわけでございますが、日本維新の会がこの問題については一番乗りで結論を出しているということを、皆様方にご報告をさせていただきたいと思います。
これから、衆参の議長に各政党間の調整をお手を煩わせてやっていただくわけでございますが、ぜひ早急に結論を出していくべきだと思います。
奇しくも、昨日は自衛隊が創設をされて70周年の記念すべき日でございました。この自衛隊についても、憲法改正の中でどういうふうにしていくのかということは議論はなされていますが、なかなか結論が出ない、決めきれないという状況が続いております。
この憲法の問題、そして憲法第1条に書かれています「天皇」と「天皇制度のあり方」の問題、こういうことは、日本という国の根幹に関わる、非常に重要なテーマであると認識をしております。こういうことについて結論が出ない、いつまでも先延ばしになっているということであれば、他国との交渉等もなかなかうまくいかないのではないか、内政においても、常識という枠組みが大きく変化をしてきているのではないか。
多様性が認められるのは当たり前です。それぞれに権利があることも当然のことです。しかしそれがいろんな選挙の運動を見ても、大きくこの枠からずれてきている。日本の根幹がずれてきている。日本の根幹が大きく変わってきているからではないかと私は思います。その基になるこの皇室の問題、そして憲法改正の問題、こういうことは国民の代表である我々国会議員が率先してやっていくべき大きな重要課題であると認識をしております。
長年にわたってご活躍をいただきました三好会長さまから、山東新会長さまに代わっていただいて、山東新会長さまには50年国会議員を務めてこられた大先輩でございますので、ぜひリーダーシップを発揮していただきまして、国会に大きな影響を与えていただき、早期の結論が出ることをご期待申し上げまして、ご挨拶に代えさせていただきます。ありがとうございました。
玉木雄一郎 国民民主党代表
ご紹介を頂きました国民民主党代表、衆議院議員の玉木雄一郎です。今日は我が党の榛葉賀津也幹事長、参議院議員の川合孝典議員ともども参加させて頂いております。各党ありますけども代表と幹事長が揃って出席しているのは我が党だけかと思います。憲法改正と皇位の安定継承に関しては、我が党を挙げて取り組んでおりますので、今日代表、幹事長合わせて参加させていただいております。
先ほど来お話がありましたけれども、国家のあり方そのものを表わしているのが、皇室のあり方、国体、国柄そのものだと思っております。我が党としても政府の有識者会議から示された3つの案を、いずれもしっかりと受け止めて、それを法制化していくべき具体的な制度作りに繋げていくべきだということを申し上げております。
皇位の安定継承と簡単に言いますけれども、その安定性が崩れる可能性があるということについては、我々立法府に身を置くものとして、大変な危機感をもって考えていかなければいけない、そしてスピード感を持って対応していかなければならないと思います。
三つの案のうち、第1案の「女性皇族が結婚後もその身分を保持する案」については、急いで対応する必要があると思います。ただ、旧皇族の方ではなく一般の男子が配偶者となった場合、その子供たちに、要は皇籍を与えるのかどうかというところで、各党で分かれております。これは過去の歴史を踏まえて、これまでの男系の流れをゆるがせにしないような形でどう具体的に対応するのか、過去にも様々な例がございますので、皇族に準ずるような形で新しい枠組みを作ることも含め、早く各党各会派の意見が集約できるように、国論が二分することがないように両議長のもとでしっかりと議論を進めてまいりたいと思っております。
二つ目の旧11宮家の男系男子の方々に復帰していただく案についても早急に対応していかなければなりません。あまり文献が残っていないのですけれども、当時の文献を少し今調べております。片山哲内閣の時、なぜGHQは11宮家を対象にしたのか、何が理由だったのかということについては諸説あります。証言もいろいろありますけれども、一つは、お金がなくて皇族費が賄えなかったということがあるのです。当時の財政事情は非常に厳しかったことは事実でありますし、その中で11宮家を外し、且つ様々なものを課税対象にしました。そういう中で行われたということを、歴史を振り返ってどう我々がもう一度しっかり検証するということも問われていると思います。そういったことも踏まえて第2案についても、早期に具体化を図っていく必要があると思います。
あわせて今日の活動方針の中にもありましたけれども、3番目の案についても、これは1案2案でどうしてもできないときには、この3つ目の案もいうことで有識者会議の報告書にも書かれておりますので、我々としてはそれもしっかりと受けとめた形で、ありとあらゆる形を尽くして皇位の安定継承を守っていく。これが必要だと思いますので、微力ではございますが、そうした合意形成に、そして立法府の意思と総意を取りまとめることに貢献してまいりたいと思っております。皆さんとしっかりと力を合わせて取り組んでまいりたいと思います。最後に皇室の弥栄を心からご祈念申し上げまして挨拶にかえたいと思います。
藤原正彦氏(お茶の水女子大学名誉教授)
藤原です。30数年前、ケンブリッジ大学で教えていました。その時にある公式ディナーがありました。向こうは階級社会ですから、教授たちはハイテーブルと言われる、学生たちより20センチぐらい高い床の上のテーブルで、白鳥を食べていました。学生達はチキンを食べていました。
私は白鳥を生まれてはじめて食べたのですが、前に座っていたノーベル賞を取った科学者が私に「この白鳥は誰のものか」と聞いてきたのです。私が「当たり前でしょ、獲った人のものでしょう」と言ったら、「違う。イギリス中の白鳥は全部女王陛下のものだ。王室のものだ」と。「そんな馬鹿なことを誰が決めたのだ」と言ったら、「マグナカルタの前から決まっている」と言って胸を張ったのです。「マグナカルタ」というと1215年ですから、こんな馬鹿なことが800年も続いている。これが本当に誇らしそうでした。こういう伝統を保っていることが、いかに素晴らしいことか、ということです。けれども800年くらいのものなら、日本にはいっぱいある。
帰国後10年ほどして伊勢神宮にお参りしました。そうしたら、ちょうど白装束に黒い木靴の神官が三人、神様の食事をうやうやしく持って歩いていました。私はいつからこのようなことをされているのかと思いましたが、話しかけられそうではなかったので、帰ってくるのを待ちました。「ここではいつの頃から神様への配膳をされているのですか」と伺ったら、「1400年前からです。雨の日も風の日も嵐の日も台風でも、戦争中でも毎日、朝夕1回ずつ行なっております」とのことでした。私は感激し、こんな国に生まれてよかったと思いました。
小泉内閣時代に皇室に関する驚愕すべき答申が出ました。私は有識者ともあろう人々が、なぜこんな答申を出したのかと思い、答申を読んでみました。答申を読んだのはその時が生まれて初めてでした。いつもくだらないと思って読んでいませんでしたから。そのとき初めて精読した。そうしたらはっきりと根本的欠陥が見えました。あのときの内閣も有識者たちも二つのことを原点にしていたのです。
一つは「憲法」、もう一つは「世論」です。長い伝統を論ずる場合に、「憲法」を原点にしては絶対にいけないのです。「憲法」とは無関係な話だからです。「憲法」とは移ろいやすいものです。たとえば今の憲法は七十数年前にGHQが7、8日で作ったものに過ぎない。その前の憲法は、薩長の藩閥政府が、大体無学無教養の人が多かったんですけども、その人たちが作った。要するに「憲法」が変わるごとに「皇室」などの重要な伝統が変えられたら大変なことになる。「憲法」というのは、移ろい易いものの一つです。国会議員は「憲法」のもとで立法をしているわけですが、「伝統」を扱うときだけは、「憲法」から離れなければならないということです。
2番目は、「世論」を気にしてはいけないということです。「世論」などはさらに移ろい易いもので、1日で変わってしまう。国民全員が反対しても守るべきものは断固守る。「伝統」とはそういうものです。国民の意見というのはしばしば大間違いします。伝統を考える時、そんなものにいちいち付き合っていられない。国民の人気などとも無関係です。
さらに言えば、皇室に関しては、外国を見習わないということです。参考にすべき例が存在しないからです。よく英国王室ではこうだと言いますが、英国王室はノルマン・コンクエストの後ですから1066年以降です。1066年といったら王朝文学の紫式部も清少納言も皆死んでしまった後です。日本の皇室に比べれば英国王室は新しい王朝です。一番古い王室であるデンマーク王室もイギリスより100年ほど古いだけです。
しかも「万世一系」という国は日本以外どこにもありません。これが重要です。日本が突出して崇高なものを持っているからこそ、皇室は世界から敬まわれているのです。外国ではこうだとかという議論は無意味なのです。すなわち「憲法」を原点にしない。「世論」を原点としない。そして「外国」を参考にしないということです。
18世紀末頃、フランス革命の後、エドモンド=バークというイギリスの思想家がいました。彼は「道徳」や「家族」や「慣習」には「先人達の巨大な知恵」が堆積している。これらは先人の「巨大な知恵」「叡智」の堆積であって、それに比べて人間の知力というのは遠く及ばないと言ったのです。
従って伝統を考える場合、我々の「これこれこうだからこうである、従ってこうであるべきだ」などという理屈より、先人の叡智というものの堆積を重要視しなくてはいけないということです。
バークだけでなく、その80年後、明治維新後に福沢諭吉が同じことを言っています。福沢諭吉は「文明開化」「文明開化」とそんなことばかり言ったので、文明開化のチャンピオンみたいに思われています。実際、彼は「こんなもの古臭い」と、刀を幕末に誰より先に売り飛ばしてしまいました。しかし死ぬまで武士道精神をしっかり持ち続けた大変な人なのです。彼は文明開化を唱えながら、このようなことを言っています。「昔からの道徳や家族、慣習、そういうものを変えるときにはよくよく考えないといけない」。「外国のものと日本のものを比べて、向こうのものの方がたとえよく見えても、千思万慮歳月を積み、本質を明らかにしてから、やっと変えるくらいでなければならない」と。バークと同じことを言っているわけです。
先人の「叡智」がそれらには入っているから、我々が薄っぺらな論理や新らしい思潮をもとに簡単に変えてはいけないということです。終戦後GHQが皇室に手を入れたのは国際法違反であるばかりか、恐るべき大罪だったのです。皇室問題のような伝統中の伝統、日本国の核に手を入れるということは、よほどのことのない限りしてはいけない、ということです。そこには、先人の「叡智」、飛鳥時代から、奈良時代、平安時代からずっと明治・大正・昭和と続いた人々の想いが含まれているからです。それを蹂躙する権利は現代人の我々にはないのだということを、先ず念頭に思い浮かべてから、これからの皇室を考えていただきたいと思うわけです。
どうもご清聴、ありがとうございます。
里中満智子氏(マンガ家)
ご紹介いただきましたマンガ家の里中満智子です。漫画というと楽しく読めるものだと思ってらっしゃる方もいるかもしれませんが、実に今多様な世界が広がっております。その中で私はマンガ家としてデビューして60年になるのですけれども、後半の30年ぐらいは主に歴史物を書いてきました。
それは思春期の頃から興味があったいろいろな歴史上の出来事、自分なりの真実、当時の人たちが何を感じて何を考えて、それでどう行動したのかということを、自分なりに描きたくて、この30年余りは歴史ものにシフトして書いてきました。その中で日本の歴史で言いますと、幕末、そして飛鳥・奈良時代それよりも古い古事記の世界、そういうものを書いてきました。書きながら気がついたことがいくつかあります。
私も戦後の生まれですので、ついつい新しい時代に合わせていろんなシステムは変えていかなければいけないと、若い頃は思っておりました。ところが昔の人たちが残した物語、あるいは私達の先祖が辿ってきた道、それをじっくりと読み返してみますと、新しいものって何なのだろうかと思わざるをえません。
いつの時代も人々はより良い世の中にしようと頑張ってきたわけですね。その中でつくづく頭が下がるなと思ったのは、一生懸命この国を守ろうとしてきた先人たちの意欲と知性と、そしてその理念ですね。特に飛鳥・奈良時代の歴史物を書いておりますと、あの時代、女性の天皇が非常に多くいらっしゃるのですけれども、でもその中で何か古いものを守るって、古いとか新しいとかと言葉で片付けちゃいけないと思うのですけれども、外国に対抗するために、もしかしたらこの国が無くなったかも知れなかった飛鳥時代。本当に大変な思いをして、この国の形を守り、それによって外交的に太刀打ちしていこうとした。あの必死な努力というのを、私達日本人は忘れてはいけないと思うんですね。
我が国は地理的に海の果てにあるわけですから、安全が確保された時期は長かったのですけれど、それでもやっぱり大陸からの脅威には怯えておりました。ここでうかうかしておりますと、日本という国の形すらなくなったかもしれない。つまり大陸の周りの国々の辿った運命を見ておりますと、以下のような扱いをされるようです。「お前の国は、国ではない」と。「うちの国の田舎の端である」と。「何も知らないんだな、教えてやろう」ということで組み込まれていくわけですね。
ものすごく簡単に言いましたが、本当に大変なことだったと思うのですね。その中で、国の形をしっかりと胸を張って「いやいや我が国は昔からちゃんと独立国家として存在していたんですよ」という形を作るために、歴史書の編纂とか、律令制度の取り入れとか都の建設とかそういうものをやってきたわけです。
何のためにやってきたのか。それは、我が国は一つの国であるというプライド、そして国民の幸せのためだと私はそう信じております。みんなやっぱり家族を守るために時として戦いますよね。それの大きな形が戦争だと思うのです。だけど守り方にもいろいろある。戦わずして守れればどんなにいいか。そこにあるのは「祈り」と「団結」ですね。長い間、我が国は「天皇」という方を戴いてきました。何のためにと「古事記」を読み、「日本書紀」を読み、「万葉集」を読みしている中で私が気づいたのは、やはり昔の人たちの知恵はすごいと。権威と権力を分けようとしている。
でもこれは自然発生的なんですね。神話の話を持ち出して恐縮なのですが、中には、そんなの作り話だから信用できないとおっしゃる方もいらっしゃるでしょう。ただ、神話・伝説というのは、その話を残した人たちが良しとした話が残っていくわけです。それはあの神がかり的な超能力的なそういうことではなくて、何が美しいか、何が正しいかをこうやって決めたんですよという、そういうあり方ですね。
よく読んでみますと、我が国って、誰か1人が命令をして動くということはまずないんですね。「古事記」の世界における最高神は天照大神とされていますが、困ったとき必ず周りの神々と相談なさっているのです。ご自身でこうしなさいと命令するのではなくて、皆さんどうしましょうかと、必ず周りの神々に呼びかけるわけです。それでみんなで知恵を出し合って、こうしましょうということで決めていく。だから最高神といえども、権力を1人で振るうわけではない。みんなに相談するという、すごく素晴らしい決断の形がそこにあるんですね。なんと素敵な神話かなと思います。こういう神話を「良し」として生み出してきた国民性って何だろうかと時々考えさせられました。
そしてふと振り返ると現実の歴史の中で、皇族という存在がいらして、いつもどういうふうに存在してきたのかというと、国民の代わりに祈る存在としていらっしゃるわけですね。ですから、いろいろ起こる天変地異、好からぬことはみんな天皇の責任であるとして悩み苦しまれるわけです。聖武天皇はその代表的な方だと思います。そんな形で我が国はずっと歴史を繋いできたわけです。
「古事記」でも、飛鳥時代以降の歴史でも見られることですが、後継者がいない、大変だということが時々あるのです。そのときにどうしたのか、ものすごく根気よく辿っていくわけです。そんなことするよりも、さっさと身近なところで決めてしまった方が事は簡単なのですね。権力を振るう人がそれをやろうと思ったらできないことはなかったと思うのです。でも一生懸命、もう足を棒にして探って探って探って、ふさわしい方を見つけてくる。何のためにこんなことをしたのか。そこにはきっと深い訳があるのでしょう。それを私達がこうだと決めつけるわけにはいかない。
昔の人が頑張って守ってきたもの、そして今あるこの形が何と有難いことかと思うのは、各国とのお付き合いの中で、我が国の文化を代表なさる皇族方がいらっしゃることが、実は我が国の品格を上げる上で大変ありがたく助かっている部分だと思っております。その根源が古く、言い伝え・神話・伝説と言われる古事記の中にも見られる。
今の私達には分からないかもしれないけれども、過去の皆さんが、何か確固たる理由があって守ってきたものを軽々に変えてはいけないのではないか。この国がずっと保ってきて、途中で滅びずにここまで来て、私達が何とかこうやって平和に暮らしている。文化を守りながら暮らしているということを、有難いと思いながら、慎重に静かに考えていきたいと思います。感情とか、そのときの流行で決めてはいけないことは絶対にあります。
その代表的なことが今回のこの問題だと思っております。何とか安心したい。何のために。それは我が国の形はこれが美しいのだと信じて、これからも安心して過ごしていきたいと思うからです。創作を主にしておりますので、勝手な解釈なしには仕事ができないので、勝手に解釈する癖がついているのかもしれません。ですからそうでない方にとっては失礼な物言いをしてしまったかもしれませんが、本当に形を美しく保つためには、くれぐれも軽々しくあってはいけないと思っております。みんなの知恵が、この国を永遠に美しく保っていくということを信じて、ご挨拶に換えたいと思います。どうか宜しくお願い致します。
八幡和郎氏(歴史家・評論家・国士舘大学客員教授)
ただいまご紹介いただきました八幡和郎でございます。
私は、ちょっと皆さんと違う観点から申し上げます。元々経済産業省に勤めておりまして、フランスに留学し、勤務をしていたときにヨーロッパの王室をかなり専門的に研究したのです。そこで思いましたのは、日本の皇室というのは非常に特別だと言うのだけれども、実はヨーロッパの王室というのも日本の皇室に似た原則で組み立てられた伝統のもとに成り立っているということなのです。
まず7点ほどのことを、今日は聞き覚えておいてほしいという形で申し上げたいのですが、第一は、日本の皇室が尊敬されている理由の一つは、ヨーロッパの王室も結構みな長いのですけれども、その中でも一番長くて、かつ国ができたときからこの家系が日本のトップにいるということで、相対的にも一番値打ちがあるというふうに評価されているということだと思うのです。
それから二つ目は、ヨーロッパ各国もひとつの家系が同じ継承原則で、ずっと続いているということなのです。中国みたいにしょっちゅう変わるというのは例外なのです。例えばイギリスでも1066年から、女系でも良いということでノルマン征服王から一つの系列です。それからフランスの場合は、987年のユーグ=カペー王から男系男子、かつ嫡系だけということで、もし将来フランスで王政復古がなった場合、ジャン4世という方まで今までずっと続いております。
三つ目は、何故養子案というのが出てきたのか。これは男系男子論の方の中でもちょっと不思議な案だと思われる方もおられるかも知れません。しかしもしも悠仁殿下の後、男系男子が続かないということになったときに、いろんな配慮の中で、この人なら国民も納得するだろうというところへうまく落とし込むためには、こういうふうな仕組みというのが一番いいというふうなことを考えた上で採用されたのです。人選をなんらかの原則に基づく順位で決めるのは難しいのです。
(養子に入る)人がいないのではないかと言う人がいますが、私もかなりよく調べましたけれども、悠仁殿下世代で、今男系男子旧宮家の方が10人ほどおられます。しかしこの方々には未成年の人も多く、制度ができる前からこの人たちに「お前どうだ」と聞くのはどうなのか、制度ができて具体的な人選に入ったときに聞くべき筋のものだと考えております。
四番目には、女帝論の方もいろんな思いがあるのはわかるのですが、一つだけおかしくないですかと私が申し上げているのは、今の女帝論の方がおっしゃっているのは、上皇陛下の、眞子さまを除いた3人のお孫さん、将来的にもこの三人の子孫だけに皇位継承はもう限定してしまうのだという議論なのです。
一旦外へ出たものを戻したら憲法違反だというふうにも申されますが、これだと、この3人の方の子孫が誰もいなくなるというのは数世代のうちに何割かの可能性があるわけですが、そうすると、皇室をやめてしまうのでしょうか、とこういうことになってしまう。これは執行猶予付きの天皇廃止論に近いものではないかという気がいたします。
それから五番目は、ヨーロッパでも制度を随分変えて、女王が増えているではないか、という方がおられます。しかし、現在すでに生まれた方は対象にしないというのがほぼ原則になっているのです。そういう意味で、たとえ制度を将来変えるにしても悠仁殿下は対象外というか悠仁殿下まではそのままにしないと、ヨーロッパの国の人から見ても非常識な話になります。
それから六番目は、皇太子は空席だと言ってデマを飛ばしている人たちがいるのです。これもおかしいことで、2018年にちゃんと法律で、秋篠宮殿下を皇嗣殿下として皇太子と同格にすると決めているのです。これを蒸し返すというのはどうなのか、皇太子が空席だというのは、いわばエリザベス女王がいるときは国王は空席だというようなものでおかしいということを覚えておいていただきたいんです。また皇太子というニュアンスの西欧語は存在せず、皇嗣に当たる言葉しかないのです。
そして最後に七つ目ですが、悠仁殿下や秋篠宮家について、非常におかしなこと言う人がいるのですけれども、秋篠宮家の皆さんほど、ノーブレスオブリージュという事に非常にうるさいぐらいにうるさく、そして質素な皇族はいないと私は思います。
そしてまた、悠仁殿下についてもご学業も大変立派ですし、体力、帝王教育もしっかり両殿下がされております。いろんなデマを流す人たちが、ネット上におりますけれども、これは全部嘘だと、これを皆さんが何か聞かれたら、胸を張って説明をしていただく。そういうふうな中から、男系男子でなければならないと信じている人だけではなく、ちょっと迷っている人も含めて、男系男子としての悠仁殿下までの継承というものは揺るぎないものにしないと、世界的に見ても非常識なんだということを、反対派の人たちにも皆さんが説得をして頂きたい、ということで私の話を終わらせて頂きたいと思います。どうもありがとうございます。